泉漾太郎ゆかりの地
月に宿かす片葉の芦の葉にも涙の露が浮く
これは片葉の芦の夜露を涙の露と表現し片思いの情をあらわした悲愛なる歌である。作者は塩原町名誉町民であり、栃木県文化協会長であった詩人故泉漾太郎氏である。 |
釣堀のある一帯は螢ケ谷と申した沼沢地で生え茂る芦に光芒を放つ螢の名所でありました。 承和の昔、この沼のほとりに庵を建て読経を念じつつ仏像を刻む若い修行僧を恋い慕うて夜な夜な「ここ開けさせたまえ」と枢(とぼそ)をたたく女性が通うて参りました。 僧は耳をもかさず幾夜が過ぎて遂に仏像を彫りあげ、開眼の鑿をうつた途端、戸外の女性が悲鳴をあげてたおれる音がいたしましたので立ち出でて見れば、月の光に露を宿す片葉の芦を咬める髑髏でありました。その後、この沼の芦はみな片葉になりました。片恋いのあわれを伝える若い修行僧は空海(弘法大師)であったとの伝説を歌つた「塩原小唄」のひとふしを門前松泉堂菓子店主成田ヒサが、作詩者に筆を執らせて建てた民謡碑です。
『塩原温泉文学散歩』 |