浅草の三筋町なるおもひでも |
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うたかたの如や過ぎゆく光の如や |
都営地下鉄大江戸線蔵前駅から春日通りを行き、三筋2丁目の交差点を過ぎて路地に入る。 |
本町には、アララギ派の歌人で歌学者、医者として有名な文化勲章受章者の斎藤茂吉が住んでいた。その茂吉が長崎医専の教授をしていた時に、三筋町を懐かしんで詠んだ歌で「浅草の三筋町なるおもひでもうたかたの如や過ぎゆく光(かげ)の如や」の文学記念碑が三筋2丁目にある。 |
明治29年(1896年) | 8月 | 上京し、浅草区東三筋町斎藤紀一方に寄寓(14歳) |
大正3年(1914年) | 4月 | 斎藤紀一の次女輝子と結婚(32歳) |
大正6年(1917年) | 12月 | 長崎医学専門学校教授に任ぜられ、長崎に赴任(35歳) |
昭和26年(1951年) | 11月 | 文化勲章受章(69歳) |