霧嶋のからくに岳の麓にてわがしたしめる夏の夜の月
『霧嶋のうた』其二(与謝野晶子)
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昭和4年(1929年)7月23日、与謝野寛(鉄幹)晶子夫妻は霧島を訪れ、栄之尾(えのお)温泉に2泊している。 |
きりしまのしら鳥の山青空を木間に置きてしづくするかな みづからを憎むが如く打たしむる霧嶋の湯の瀧の下(もと)かな |
廿五日、高千穂小學校長田中莊君の嚮導を得て高千穂の峰に登る。峰に到つて雲多し。同行は石塚月亭君父子なり。此日晶子は大浪湖に遊べり。 |
熱き湯を榮之尾(えのを)の溪に朝浴びぬ高千穂に行く清まりのため
『霧島の歌』(其一) |
霧嶋の白鳥の山しら雲をつばさとすれど地を捨てぬかな えび野湯に人たどる路見えずして廣く硫黄の黄のつづき原 坂東の殺生石を見し山におもむきの似る原にこしかな
『霧嶋のうた』(其二) |
与謝野寛(鉄幹)晶子夫妻は明治大正から昭和初期にかけて歌壇で活躍。新詩社を主宰して数々のすぐれた作品を発表し、ロマン主義の新風を投じた。これらの歌は、昭和4年7月に2人でえびの高原を訪れた折に詠まれた。歌集「霧嶋のうた」に収められている。 |