天正15年(1587年)、豊臣軍が島津氏を攻めた際、秀長の本陣が置かれた場所だといわれている。5月3日の「秀長公禁制」が現存するそうだ。5月6日、島津義久は豊臣秀吉に降伏。 |
元禄4年(1691年)、芭蕉は京都から江戸に向かう途中で大垣に立ち寄り、千川亭に泊まった。 |
自然石の句碑で、文化7年(1810年)刊行の「さるみのつか」誌上で「芭蕉翁」「冬籠・・・」の部分などが読み取れるとして紹介されています。 芭蕉には「冬籠」の句が6句ほどありますが、金屏の松の古さよ冬籠」「折々に伊吹を見ては冬籠」などの句の雰囲気が境内に合ったであろう、と言われています。 文化・文政(19世紀の初め)から明治時代にかけて盛んであった本庄俳壇をしのばせる句碑です。県内には他に8基の芭蕉句碑が確認されています。
国富町教育委員会 |
昭和5年(1930年)10月18日、山頭火は行乞の途次本庄仲町の「さぬきや」に宿泊している。 |
綾から本庄までまた二里、三時間ばかり行乞、やうやく教へられた、そして大正十五年泊つたおぼえのある此宿を見つけて泊る、すぐ湯屋へゆく、酒屋へ寄る。…… |
こゝの名物の一つとして松露饅頭といふのがある、名物にうまいものなしといふが、うまさうに見える(食べないから)、そしてその本家とか元祖とかいふのが方々にある。 小鰯を買つて一杯やつた、文字通り一杯だけ、昨夜の今夜だから。 ・けふのおひるは水ばかり ・山へ空へ摩訶般若波羅密多心経 |