みちのくはいづくはあれどしほがまの浦こぐ舟のつなでかなしも わがせこをみやこにやりてしほがまのまがきのしまのまつぞこひしき 海邊ノ霞といへるこゝろをよみ侍りし |
家隆朝臣 |
みわたせば霞のうちも霞みけり煙たなびく鹽がまのうら 百首歌たてまつりし時 |
前大僧正慈圓 |
ふけゆかば煙もあらじ鹽がまのうらみなはてそ秋のよの月 |
題しらず
よみ人しらず
しほがまの浦とはなしにきみ恋ふる煙も絶えずなりにける哉陸奥の千賀のしほがま近ながらからきは人に逢はぬなりけり
山口女王
我が思ふ心もしるく陸奥の千賀のしほがまちかづきにけり |
平成23年3月11日(金)午後2時46分三陸沖を震源とする世界最大級マクニチュード9.0の巨大地震が発生、それに伴う大津波がこの地にも襲来、甚大な被害を受けた。 このモニュメントは「東日本大震災」の鎮魂と復興を願い塩釜ロータリークラブ創立60周年にあたり、塩竈市の協力を得て、建立した。 鐘の位置が、この付近での津波による浸水高である。 |
津波の高さ | 本土 最大4.8m |
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浦戸(離島)8.0m超 |
大正5年(1916年)3月、若山牧水は仙台から塩竈を訪れ、松島湾へ。 |
塩釜より松島湾へ出づ 塩釜の入江の氷はりはりと裂きて出づれば松島の見ゆ
『朝の歌』 |
大正14年(1925年)、北原白秋は樺太・北海道の旅の帰途、千賀の浦を訪れている。 |
松 島 みちのくの千賀の塩釜雨ながら網かけ竝めぬほばしらのとも みちのくの千賀の塩釜雨に来て木の橋わたる大き木の橋 千賀の浦夕立つ雨に船立てて雄島のはなに着けば暮れたり
『海阪』 |
昭和6年(1931年)11月、齋藤茂吉は夫婦で塩竈を訪れ、「塩釜ホテル」に泊まる。 |
松島の海を過ぐれば鹽釜の低空かけてゆふ燒けそめつ
『石泉』 |
平成22年(2010年)3月17日、「シオーモの小径」に10基の文学碑を建立。 |
平成23年(2011年)3月11日、東日本大震災で流失。 |