橘為仲朝臣陸奥(みち)の国の守にてくだりけるに、 太皇太后宮の台盤所よりとて、誰とはなくて 東路のはるけき道を行(ゆき)かへりいつかとくべきしたひもの関
『詞花和歌集』(巻第六) |
平安朝時代、和歌の題材になる名所を歌枕と称したが、みちのくにも数多くあって都の人々に親しまれていた。 白石市越河の県境は古く坂上田村麻呂が関所を置いて以来、下紐の関として歌枕に挙げられ有名になった。 この下紐の石は用明天皇の皇妃玉世姫がこの石の上でお産の紐を解かれたという伝説が、乳神様と共に伝わっている。 藩政時代には路傍にあって「石大仏」と呼ばれていた。 立ちかへり又やへだてんこよいさへ
心もとけぬ下紐の関 左大将公名
現とも夢とも見えぬ程ばかり
かよはばゆるせ下紐の関 大中臣能宜朝臣 |