昭和47年(1972年)11月13日、河北新報社創刊75周年記念・生誕400年記念に支倉常長顕彰会が建立。作者佐藤忠良。 |
支倉常長は藩祖伊達政宗の使節として、慶長18年 月ノ浦を出帆し太平洋・大西洋を横断 ローマに至り教皇パウロ5世に謁見した この間8年の歳月を費し 幾多の苦難を乗り越え よくその使命を果たした 当時としては誠に国際的な偉業であった 昭和46年 常長の生誕400年を迎えこれを顕彰する為 ゆかり深いこの地に銅像を建立する |
山形の生んだ不世出の歌人斎藤茂吉(明治15年−昭和28年)は、哲学者阿部次郎の招きにより、昭和3年5月、東北大帝国大学における講演のため来仙した。その折広瀬川畔の阿部次郎宅に2泊し、次の5首(歌集「ともしび」所収)を詠んだ。 みちのくに来しとおもへば楽しかりこよひしづかに吾はねむらむ さ夜ふけと更けわたるころ海草のうかべる風呂にあたたまりけり 朝がれひ君とむかひてみちのくの山の蕨を食へばたのしも わがこころ和ぎつつゐたり川の瀬の音たえまなき君が家居に いとまなき吾なりしかどみちのくの仙台に来て友にあへるはや 同郷の二人の50年にわたる友情を記念し、あわせてその歌集を賛え、有志を計ってここに歌碑を建設した。 阿部次郎三女大平千枝子識 |
昭和47年(1972年)10月29日、宮城県師範学校昭和7年3月から同13年3月卒業生建立。 |
木俣修先生この地仙台に教師たりし若き日成したる名歌集「みちのく」より選び、かの日講筵に連なりし我ら主唱してこれを建つ。 こはまた我らが青春のモニュメントにてもあらんか。 |