桓武天皇の延暦17年(798年)、坂上田村麿男山八幡宮の分霊として社殿を造営す。 往古、生巣八幡宮と称した。 後醍醐天皇の御年元弘2年(1332年)、陸奥守北顕家多賀城に在る際、社殿を修造し弓矢並びに太刀を献じ武運を祈る故に北畠八幡宮の称あり。康平5年(1062年)、源義家武甕槌神を祀って戦勝を祈るという。 文禄年間(1592−1595)国分盛重この地に築城するに及び鎮守神として尊崇す。後、仙台藩主歴代伊達氏の種々奉献すること篤く、これを崇め宮城野八幡宮と呼んだ。 明治5年5月村社に列せられ、同40年3月幣帛供進社に指定をうけた。 昭和20年戦災に遭い、又、日本国有鉄道(現JR東日本鉄道)の貨物駅用地と成るに樹木生繁る宮城野の社より昭和27年現在地を買収し、社殿を新造営遷し今日に至る。 |
国指定天然記念物 |
イチョウには雄株と雌株とがあり、この樹は雌株です。幹などからでた根の一種である気根が、乳房のように垂れている様子から「乳銀杏」とよばれ、市民に親しまれてきました。たくさんの気根の中で最も太いものは周囲が1.7mにも及び、下端が地中に入って支柱のようになっているものもあります。 このイチョウは樹齢1,200年とも推定される樹木であり、奈良時代に植えられたという伝説が残っています。国の天然記念物に指定された当時、この場所は「苦竹」という地名でしたが、現在はこの樹にちなみ「銀杏町」となっています。 |
仙台市教育委員会 |