この辺りには、平安時代からお城があったと考えられています。国府多賀城へ行く際の旅館として建設された「武隈舘」は、後に鵜ケ崎城と呼ばれました。江戸時代には、現在の岩沼駅の場所にお城(一国一城令により、岩沼要害と呼ばれた)があり、伊達政宗が仙台を拠点とした後は伊達家の重臣が代々治めました。岩沼藩(1661年〜1681年)が成立すると、その前に治めていた古内氏に替わって、田村氏3万石の居城となりました。立派な大手門はこの頃につくられたと言われます。田村氏が一関に移った後、古内氏が再び岩沼に戻り、幕末までこの地を治めました。 明治時代になると、交通手段が発達して東北にも鉄道が敷かれることになりました。他地域では「汽車の煙害で養蚕ができなくなる」と地元の反対で敷設計画が中止になったり。路線が変更されて人里離れた場所に駅を設置したりということがありましたが、岩沼では城山を削って堀を埋め立てて鉄道を通しました。明治20年(1887年)12月に上野―塩竈間が開通します。県内最初の駅は、白石―大河原―岩沼―仙台―塩竈の5つの駅でした。
岩沼市 |
桜より 松は二木を 三月越し |