2021年京 都

如願寺〜〜芭蕉の句碑〜
indexにもどる

宮津市字宮町に如願寺という寺がある。

仁王門


如願寺

 厳松山と号す、高野山真言宗。寺伝によれば万寿元年(1024年)比叡山の僧皇慶上人が、行基菩薩作の薬師如来像を負うてここに来り、一宇を建てて安置したに始まるという。皇慶上人は諸国を巡ってのち丹波池上房(船井都八木町)に住したと伝え、また田辺(舞鶴市)円隆寺も中興の祖としている。

 中世丹後守護一色氏は丹波細川・若狭武田氏とたえず争ったが、一色方の山城宮津城はこの寺の向い側にあった。永正3年(1506年)の如願寺跡会戦はわけても激しいものであった。如願寺荒廃の時代である。伊勢外宮の御師の「丹後国御檀家帳」(十六世紀前半期)によると、「一色氏の奉行、宮津谷の支配者小倉氏の帰依を得て寺運回復に赴いたと思われる。古くから多くの子院を擁していたが、十八世紀初頭には六院に定まり、いまは本堂(薬師堂)・庫裡(旧安寿院跡)等が残るのみ。すぐれた自然環境の中に多くの文化財を持っている。

 本堂は寛文12年(1672年)宮津富田大工の最初期の造作、古い阿弥陀堂形式を残している。仁王門は元禄3年(1690年)の再建、ここにも三棟造の古式の模造をみせている。

 本尊薬師如来立像は桧材一木造で古様を残す藤原期の作。ほかに同時代の聖観音・十一面観音立像もある。庫裡前庭には正和元年(1312年)刻銘五輪塔、南北朝・室町期の宝篋印塔・逆修石灯籠等石造物がある。

宮津市教育委員会
宮津市文化財保護審議会

本 堂


本堂の左手に芭蕉の句碑があった。


けふはかり
 人もとしよれ
    初しくれ

出典は『韻塞』(李由・許六共編)。

 元禄5年(1692年)10月3日、赤坂彦根藩邸中屋敷で開かれた五吟歌仙の発句。

明治26年(1893年)10月12日、翁二百年祭記念に建立。

庫 裡


庫裏の奥に芭蕉の句碑があった。


春もやゝ
けしきとゝのふ
   月と梅

出典は『薦獅子集』(巴水編)。

 元禄6年(1693年)1月20日、深川芭蕉庵から大垣の木因に宛てた書簡にある。

本堂の奥は山王宮日吉神社に連なる。


摂社杉末神社は延喜式内社である。

例祭には赤ちゃん「初土俵入」が行われるそうだ。

2021年京 都〜に戻る