金閣寺にて しづかさは赤松石を時雨哉 風国 |
○金閣上に登りて鏡湖池を望 秋の日に研直しけり池の水 |
梅咲ば亀も浮くなり金閣寺
『梅百句』 |
享和2年(1802年)3月22日、太田南畝は金閣寺を訪れている。 |
金閣は三重にして、第一を法水院といふ。弥陀の三尊、夢想国師の像、鹿苑院殿道義の像あり。第二を潮音洞といふ。自然木の観音、四天王を安ず。第三を究竟頂と、後小松院の勅額なり。板敷三間四面の一枚板にして、四壁ことごとく金箔にてだみたるが、色落ちて光なし。 |
昭和2年(1927年)4月、高浜虚子は金閣寺に立ち寄った。 |
金閣寺に立ち寄つた。屡々來た事のある泉石であるが、何日来て見てもこせこせして居ないたゝずまゐが氣に行つた。
「花の都」 |
金閣寺 啓書記の達磨暗しや花の雨 春雨の傘さしつれて金閣寺 |
昭和10年(1935年)10月、阿波野青畝は金閣寺を訪れている。 |
水澄て金閣の金さしにけり
『國 原』 |
京都の金閣寺は三第将軍足利義満の別業として数寄をこらし建築された。背景の衣笠山の松の美しさといい、池端をえらんだ金閣の端正な形といい、その倒影を鏡とする林泉のしずけさといい、四季いずれをえらばず深い趣を示している。 ひえびえしい境内を逍遙して池のところにくると途端にこの句景に逢着し、感激を強くふるわせた。二層の庇は日光を浴びてかがやくと同時に、その倒影も水のおもてに光って燦然たる観を呈す。林泉は澄みきって、走りまわる小魚の姿がちらちらしている。私はだまってしまった。句にまとめねば、ここを立去りがたいのである。やがてリズミカルなことばがわき出てきて、無上の嬉しさにひたった。 夕佳亭を過ぎ寺を辞したとき、すでに日が西に没していた。 |
昭和11年(1936年)3月20日、種田山頭火は同人と共に北野吟行。 |
三月廿日 曇、花ぐもり。 朝湯朝酒。 蛇が穴を出てゐた。 同人と共に北野吟行。 鷹ヶ峯、庵、光悦寺、金閣寺、酔つぱらうて、仙酔楼居へ自働(ママ)車で送られる。 |
昭和15年(1940年)、水原秋桜子は金閣寺を訪れている。 |
金閣寺前庭 巣立鳥相阿弥の庭に下りて鳴く 相阿弥が据ゑける石に梅雨の苔
『古鏡』 |
昭和25年(1950年)7月2日、放火により金閣寺炎上。 |
金閣炎上 昭和廿五年七月三日、鹿苑寺中の金閣炎上、 痛恨に堪へず 將軍の好み高しと左千夫言ふその金閣も滅びけるかも とりよろふ衣笠山は殘れども金閣はなしいまのこの世に
『形影抄』 |
わかこゝろの林泉のかへてはやくるなくしはらくあるをあはれといはむ
『水ゆく岸にて』 |
昭和30年(1955年)、再建。 昭和31年(1956年)、三島由紀夫『金閣寺』を『新潮』に連載。 |