かぶき踊りの祖出雲の阿国 |
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都に来たりてその踊りを |
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披露し都人を酔わせる |
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平安建都1200年を記念して |
平成15年(2003年)11月、歌舞伎発祥400年に京都洛中ライオンズクラブ結成30周年を記念して建立。山ア正義制作。 |
慶長8年(1603年)、出雲の阿国はこの四条河原で先鋭的な伊達男風の扮装で「かぶきをどり」を披露、関ヶ原合戦後のすさんだ世に都人を驚かせ絶大な喝采を浴びました。 歌舞伎の元祖といわれている阿国の出生は不詳ですが、出雲大社の巫女で一座を率いて勧進のため入洛、北野天満宮の定舞台で名声を得て各地を巡業しその人気が広まりました。 江戸時代に入り、風紀を乱すと女歌舞伎禁止令が出て、男が女形を演じるようになり今日の歌舞伎に発展しました。 阿国は晩年出雲に帰り、尼僧となって生涯を終えたと伝えられ、その墓は島根県大社町と京都の大徳寺高桐院にも存在しますが、伝説の域を出ません。 |
この地はもと鴨川の州であったが、寛文10年(1670)に護岸工事の為埋め立て石垣を築き町家が出来て、これを新河原町通りといった。その後、三条一筋南から、四条まで、即ち南北600米、東西50米にわたる地域に人家が建ち並び俗に先斗町と呼ぶようになった。正徳2年(1712年)に茶屋、旅籠屋両株と茶立の女子を置くことを許され爾来花柳の街として繁昌、現在に至っている。 先斗町の呼び名は、ここの人家が全て川原の西側にたち、先ばかりに集中したところから先斗町と呼ばれたともいい、葡萄牙語(PONT)英語の(POINT)の発音によったともいわれる。 京の年中行事「鴨川をどり」は明治5年に創始、今日まで京の春秋をあでやかに色どっている。
京の先斗町会 |