ここ玉樹寺のひがし一貫町に18世紀の名医賀川玄悦(字は子玄1700−1777)が住んでいた。 玄悦は、あらゆる権威にとらわれず、自分の目でたしかめる実証精神から、それまで信じられていた母体のなかの胎児の位置が誤っていることを知り、その正しい位置(上臀下首)を はじめて発見した。またあふれるばかりのヒューマニティから、難産で苦しむ母体を救う方法を発明した。 これらは日本の医学が世界に誇る業績の一つである。 賀川一門は、各地で多くの名医を生み、母子ともに安全に救う方法を完成して日本の産科学の発展に大きく貢献した。 玄悦の没後200年にあたり、墓域の修復をおこなうとともに、賀川一門の偉業をたたえるため、ここに碑をたてて記念とする。 |
昭和52年(1977年)9月14日、賀川玄悦先生没後二百年記念顕彰会建立。 |
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