山口誓子は京都市出身の俳人。本名は新比古(ちかひこ)。水原秋桜子、阿波野青畝、高野素十と共に高浜虚子門下の「四S」と呼ばれた。 |
この建物は国の史跡に指定(大正11年3月8日)された荷田春満(かだのあずまろ)の旧宅である。 春満は、寛文9年(1669年)に稲荷神社(現伏見稲荷大社)祠官荷田姓御殿預(ごてんあずかり)の羽倉信詮(はくらのぶあき)の次男として生を受け、広く国学の発展に奔走した江戸時代中期の国学者。 「国学四大人」の一人であり、始祖と仰がれている。 この旧宅は春満生家の一部で、書院・神事舎・門・塀など、旧態を留めている。 |
昭和13年(1938年)、吉井勇は東丸神社に詣でている。 |
昭和十三年の秋ふかく、伏見の稲荷に御火燒 のある日、その傍にある東丸神社に詣でて、 荷田春滿の舊居を觀る、即ちこの勤王歌人の ことを思ひて詠みける歌 春滿の大人(うし)祀りし御社と聽けばかしこし深く額づく 荷田祭ちかづくほどに御社の屋根の夕霜いろ冴にけり
『風 雪』 |
東丸神社 天津社國津社のなかにありて親しと思ふ荷田社かも 春滿の住みし古家なつかしと門邊の白木槿の花
『玄 冬』 |
昭和42年(1967年)11月8日、高野素十は伏見稲荷を訪れている。 |
同八日 伏見稲荷 お火焚 朝の砌夕べの砌冬に入る お火焚の一炎一煙かな
『芹』 |