2015年京 都

伏見稲荷大社〜山口誓子の句碑〜
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京都市伏見区深草薮之内町に伏見稲荷大社(HP)がある。


延喜式内社である。

伏見稲荷大社は全国に30,000社あるといわれる稲荷神社の総本宮。

手水舎に前川佐美雄の歌碑があった。


あかあかとたたあかあかと照りゐれは伏見稲荷の神と思ひぬ

前川佐美雄は奈良県出身の歌人。佐々木信綱に師事。朝日歌壇の選者。

楼 門


重要文化財である。

日曜日とはいえ、観光客が多いのには驚いた。

神楽殿


神楽殿の前に山口誓子の句碑があった。


早苗挿す舞の仕草の左手右手

昭和62年(1987年)4月、建立。143番目の山口誓子句碑である。

 山口誓子は京都市出身の俳人。本名は新比古(ちかひこ)水原秋桜子阿波野青畝高野素十と共に高浜虚子門下の「四S」と呼ばれた。

荷田春満旧宅があった。


史蹟 荷田春満旧宅

この建物は国の史跡に指定(大正11年3月8日)された荷田春満(かだのあずまろ)の旧宅である。

春満は、寛文9年(1669年)に稲荷神社(現伏見稲荷大社)祠官荷田姓御殿預(ごてんあずかり)の羽倉信詮(はくらのぶあき)の次男として生を受け、広く国学の発展に奔走した江戸時代中期の国学者。

「国学四大人」の一人であり、始祖と仰がれている。

この旧宅は春満生家の一部で、書院・神事舎・門・塀など、旧態を留めている。

「国学四大人」は荷田春満と賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤。

左は東丸神社。

昭和13年(1938年)、吉井勇は東丸神社に詣でている。

   昭和十三年の秋ふかく、伏見の稲荷に御火燒
   のある日、その傍にある東丸神社に詣でて、
   荷田春滿の舊居を觀る、即ちこの勤王歌人の
   ことを思ひて詠みける歌

春滿の大人(うし)祀りし御社と聽けばかしこし深く額づく

荷田祭ちかづくほどに御社の屋根の夕霜いろ冴にけり

『風 雪』

   東丸神社

天津社國津社のなかにありて親しと思ふ荷田社かも

春滿の住みし古家なつかしと門邊の白木槿の花

『玄 冬』

昭和42年(1967年)11月8日、高野素十は伏見稲荷を訪れている。

   同八日 伏見稲荷 お火焚

朝の砌夕べの砌冬に入る

お火焚の一炎一煙かな

『芹』

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