中興の祖永観(ようかん)律師(1033〜1111)にちなみ、「永観堂」と呼ばれている。 |
慶長2年(1597年)、大阪四天王寺に曼荼羅堂として建立。 慶長12年(1607年)、豊臣秀頼の命により移築され阿弥陀堂とした。 |
永保2年(1082年)2月15日未明、念仏を唱えながら本堂を歩く修行をしていた永観の前に本尊の阿弥陀如来が一緒に加わった。夢ではないかと立ち止まる永観に阿弥陀如来は後ろを振り返り「永観、遅し」と発したと伝えられる。 |
明治33年(1900年)11月5日、晶子は山川登美子と共に与謝野鉄幹に伴われてここ永観堂に紅葉を賞でた。この場面は晶子をモデルとした作品に必ず出て来る。晶子と登美子とはそれぞれに若い師鉄幹に思いを寄せていたからである。 翌春晶子は鉄幹と共に再びここを訪れたが、登美子の姿はない。登美子は義理人情のしがらみの中で郷里の男と結婚せざるを得なくなり、恋も文学も茫々の彼方へ忘れ去ろうとした。 早春の一日、遠く若狭へ去った登美子を思い出して時を過したのがこの歌の趣である。この歌は『みだれ髪』の中にある。いわばこゝは晶子の情熱の歌人としての出発点である。 1977年5月29日
入江春行 |
同十二日 永観堂 芹吟行 残菊の或は花を重ねもし
『芹』 |