2021年京 都

智積院〜高浜虚子の句碑〜
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真言宗智山派総本山智積院(HP)へ。

冠木門


 昭和59年(1984年)3月1日、宗祖弘法大師千百五十年御遠忌を記念して智積院檀徒寄進。

智積院

 真言宗智山派総本山で全国に3000余の末寺がある。もと紀州根来山の学頭寺智積院であったが、豊臣秀吉の焼き討ちに遇い、学頭玄宥僧正は、難を京都に避け、後に徳川家康の帰依を受けて慶長5年(1600年)に豊国神社境内の坊舎と土地を与えられ、智積院を再興した。その後、祥雲禅寺を拝領し現在に至っている。

 祥雲禅寺は、秀吉が長男鶴松(棄丸)の菩提を弔うため建立した寺で、当時は東山第一といわれた。

 収蔵庫にある豪華な襖絵(国宝)は祥雲禅寺以来のもので、長谷川等伯並びに一門の筆といわれ、桃山時代の代表的障壁画として知られている。このほか、張即之筆金剛経(国宝)、南画の祖といわれる王維の瀧図(重要文化財)をはじめ、仏画・経巻など多数の指定文化財を蔵している。

 庭園(名勝)も同じく桃山時代の作庭といわれ、築山と苑池からなる池泉観賞式庭園で京洛名園の一つに数えられている。

京都市

玄宥僧正


金 堂


寺院の中心となるお堂で、本尊を安置する。智積院では金堂にて様々な法要を執り行なう。

現在の金堂は明治15年(1882年)昔の金堂が焼失したために宗祖弘法大師空海のご生誕1200年の記念事業として昭和50年(1975年)に建立。本尊は大日如来で、西村公朝師の指導により藤原様式で造られた尊像です。

明王殿


智積院の護摩道場、祈祷所であり、不動堂とも呼ばれている。

本尊の不動明王は、興教大師覺鑁 (こうぎょうだいしかくばん) ゆかりの紀州根来寺より伝来したといわれており、麦つき不動とも呼ばれている。

明王殿は京都十三佛霊場第1番、近畿三十六不動尊霊場第20番札所となっています。このお堂は以前京都四条にある浄土宗・大雲院の本堂であったが、智積院の旧本堂(方丈殿)が焼失した際に譲渡されたものである。

名勝庭園


拝観料は500円。

講 堂


大寺院の重要な機能である教室を意味するもので、智積院では真言密教の最も重要な儀式である潅頂の道場や檀信徒の回向道場として使用しています。

この講堂は中興の祖・興教大師覺鑁850年御遠忌の記念事業として、平成7年(1995年)に落慶。

本尊の阿弥陀如来は、もとは金堂に安置されていたものを移したもので、平安時代後期の造立です。

高浜虚子の句碑があった。


ひらひらとつくもを
    ぬひて
      落花哉

 この句は、高浜虚子(1874〜1959)が昭和5年4月に智積院を参拝された時に作られました。

 「つくも」とは、高さが1.2メートル、池沼に生える多年草である太藺(ふとい)のことで、かつて智積院の池に沢山生えていたことが、この句から窺えます。

 この句碑は、昭和48年2月に、千葉県神野寺、山口照道師より寄進されたものです。

庭 園


大書院(おおしょいん)


築山・泉水庭


「利休好みの庭」と伝えられる。

布袋唐子嬉戯の図


豊国神社へ。

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