小倉百人一首は、古今集から続後撰集に至る10種の歌集から撰歌されています。ここでは、9番目の勅撰集である新勅撰集から撰ばれた4首の歌を紹介しています。
新勅撰集は、貞永元年(1232年)後堀河天皇から勅命を受け、文暦元年(1234年)に藤原定家が撰定した歌集で、約1,400首が収録されています。
承久の乱後の最初の勅撰集であったことから、後鳥羽・土御門・順徳三上皇の歌を一首も載せないなど、政治的配慮から撰者の意図はかなり屈折させられたものでした。
その歌風は、平淡優雅な歌を主としており、妖艶華麗な新古今集とは異なる定家晩年の好みが反映しているといわれています。
小倉百人一首文芸苑 |
鎌倉右大臣の歌碑

小倉百人一首第九十三番
世の中は つねにもがもな 渚こぐ
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あまの小舟の 綱手かなしも
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鎌倉右大臣は源実朝。
変わりやすい世の中であるが、ずっと平和であってほしいことだ。この海辺は平穏で、渚を漕ぎ出す小舟が引き綱を引いているく光景が、しみじみと愛しく心にしみることだ。
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入道前太政大臣の歌碑

小倉百人一首第九十六番
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
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ふりゆくものは わが身なりけり
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入道前太政大臣は西園寺公経。「落花を詠みはべりける」と詞書がある。
花を誘って散らす激しい嵐が吹く庭。そこに散り敷くの雪かと思う。しかしふる(降る)のは雪ではなく、実は古びていく私自身なのだ。
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権中納言定家の歌碑

小倉百人一首第九十七番
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
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焼くやもしほの 身もこがれつつ
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権中納言定家は俊成の子、「新古今集」や「新勅撰集」、また「百人一首」の撰者。
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待っても来ない人を待つ私は、松帆の浦の浜辺で焼いている藻塩の煙がたなびいているが、この身も恋の思いにこがれていく、そんな気持ちなのだ。
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兵庫県神戸市の布引の滝に定家の歌碑がある。
従二位家隆の歌碑

小倉百人一首第九十八番
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
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みそぎぞ夏の しるしなりける
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従二位家隆は藤原家隆。「新古今集」の撰者。
楢の葉を揺らすそよ風が吹き、夕暮れは秋のように涼しい。しかし、上賀茂神社の境内を流れる御手洗川で行われるみそぎの光景を見ると、やはりまだ夏なのだなあ。
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兵庫県神戸市の布引の滝に家隆の歌碑がある。
山陰本線嵯峨嵐山駅

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