虚子の句碑
いてふの根床几斜めに茶屋涼し
貞観2年(860年)、慈覚大師が立石寺開山にあたり守護神として山王権現を祭ったもの。 |
昭和14年(1939年)5月19日、高浜虚子は風生・立子等と共に山寺を訪れている。 |
山寺に行く。二句 |
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夏山の彼方の温泉に子規は浴(あ)みし |
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夏山のトンネル出れば立石寺 |
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陸中山寺 |
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銀杏の根床几斜に茶屋涼し |
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五月十九日。仙臺針久旅館。風生、老妻、立子、章子等と共に。小 |
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太郎、余十、綾園と山寺に行く。 |
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『五百五十句時代』 |
茶屋涼し野蒜ひとたば置かれあり 宿の婢に借りし日傘をもやひさし |
いてふの根床几斜めに茶屋涼し | 虚子 |
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我もまた銀杏の下に涼しくて | 年尾 |
山形県山寺立石寺の根本中堂は慈覚大師創建の伽藍で、現在国宝に指定されている建造物は、正平十二年山形城主の再建に成るものと伝えられる。芭蕉が奥の細道吟遊の途次、ここに詣でて詠じた 閑さや巌にしみ入る蝉の声 芭蕉 の句碑も堂側に建って居る。通路を距てた老銀杏樹の下に、虚子翁のこの句碑が建設されたのは、昭和十六年七月のことであった。高さ五尺二寸、厚さ六寸の細長い三稜形自然石である。 |
七月八日 仙台より山形県山寺へ 虚子年尾句碑除幕 上の山温泉泊り 山越えて来て羽の国は梅雨もなく 峠路の雨に色濃き額の花 山寺に篠の子飯もまたよろし |
昭和39年(1964年)10月25日、星野立子は高浜虚子・年尾の親子句碑を見る。 |
二十三年前に父と来たことがあるところであるが、全く記憶がない。父の句碑と兄の句碑が並んでいる。傍に大きな銀杏が立っている。 |
この銀杏黄ばめば雪の降るといふ 寺苑より霧氷見えゐる山の名は 時雨れしはほんの二三歩ゆきしとき |