虚子の句碑
家持の妻恋舟か春の海
昭和24年(1949年)4月26日、高浜虚子は星野立子と共に和倉温泉加賀屋に泊まる。翌27日、加賀屋で句謠会。午後、輪島へ。 |
能登の畑打つ運命(さだめ)にや生れけん 四月二十六日。能登、七尾に向ふ。柏翠、坤者同乘、七尾公園。七 尾俳句会。和倉、加賀屋泊り。 家持の妻戀舟か春の海 能登言葉親しまれつゝ花の旅 四月二十七日。加賀屋にて句謠会。素十、櫻坡子来り会す。 午後輪島に行き鳳來館泊り。 |
四月二十七日。宿にて句謠会。 温泉の婢らかまびすしさよ夜半の春 曇つていた空も九時頃になると音を立てゝ降りはじめ て来た。 加賀屋にて句謠会あり余花の雨 引鴨に又人声の窓辺かな この窓に燕見しは今朝のこと
星野立子・未刊句日記 |
俳界の巨星高浜虚子翁昭和二十四年 |
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四月二十六日能登路に来遊和倉で一泊せらる |
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本連盟は之を記念すべく翁に揮毫を求め |
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和倉温泉組合の協力により句碑を建立す |
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昭和二十四年八月十四日 能州文化連盟 |
この句碑は昭和二十四年八月十四日、能登文化連盟によって能州和倉温泉海辺に建てられた。高さ六尺、幅一尺五、御影石の角柱碑である。この年四月二十六日、虚子翁来遊和倉一泊を記念するためにとのことが碑陰に刻まれて居る。
『虚子翁句碑』(本山桂川著) |
天平18年(748年)越中の国に含まれた能登の国司大伴家持卿は官倉(年貢籾の貯蔵所)の事務決済を終り、能登巡航され数々の名句を残された。俳人高浜虚子が昭和24年和倉に来り「家持の妻恋舟か春の海」と追憶して現実の和倉の海を賞しました。 |
午後二時半国民宿舎出発 バスにて和倉加賀屋へ四時 十五分著 一泊 宿豪華春燈柱なして点く
『句日記』(第二巻)
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能村登四郎氏(明治44年生れ)。日本を代表する俳人。読売新聞俳壇選者で祖父は和倉の出身であり、俳誌「沖」創刊30周年を記念に、能登にちなんだ句を詠まれ、同氏の母なる地(和倉温泉)で建立するものである。 |