虚子の句碑
裸子をひつさげあるくゆの廊下
昭和21年(1946年)8月29日、高浜虚子は『ホトトギス』六百号記念俳句会で下部温泉を訪れる。 |
酒折の宮はかしこや稲の花 裸子をひつさげ歩く温泉(ゆ)の廊下 川向ふ西日の温泉(ゆ)宿五六軒 前通る人もぞろぞろ橋涼み 橋涼み温泉宿の客の皆出でゝ 八月二十九日 小海線に搭乗、甲州下部温泉に到る。下部 『ホトトギス』六百号記念俳句会。
『六百五十句』 |
昭和二十一年八月三十日一遊 裸子をひつさげあるく ゆの廊下 |
昭和22年(1947年)夏、句碑建立。 昭和23年(1948年)11月23日、句碑除幕。虚子も年尾等と共に訪れた。 |
竹切りて道に出し居る行手かな 十一月二十三日 下部温泉行。句碑除幕。蓼汀、真砂子、 年尾と共に。湯元ホテル泊り。
『六百五十句』 |
この句碑については、建設者の一人、富士宮市の堤俳一佳氏から次のような報告が寄せられた。 虚子翁は昭和二十一年八月三十日、小諸疎開中初めて甲斐山中の下部温泉へ杖を運ばれた。この温泉は俗に信玄公かくし湯と呼ばれて居る。当日、ホトトギス六百号記念俳句大会が同地湯元ホテルの二階大広間で盛大に催された。その日のお作の中にこの句があった。この一句を句碑にしたいとお願いしてあったのが、再三の懇望で許され、昭和二十二年夏竣工した。その年中に除幕式をとお願いしたが、先生の御都合で翌年十一月二十三日除幕式竝に記念俳句大会を挙行した。 碑石は俳一佳居の窓下を流れる雨河内川の上流から探し得た高さ五尺、幅二尺八寸位の砥川石である。只、今にして惜しいと思うのは、建立の年月日を不用意にも落したことである。此の際、建立の年月は昭和二十二年夏、除幕式は昭和二十二年十一月二十三日と御記録をお願いしておきますと。 |
昭和33年(1958年)4月13日、身延山にて草樹会。裸子会。その時詠まれた句と思われる。 |
下部ホテルで晝食。 われ等は自動車で、他の諸君は電車で、身延驛に逆行。 富士川に沿うて身延町がある。 少し上りになつて久遠寺著。 久遠寺參詣。 書院にて小松淨祐師等と會談。
「身延行」 |
白糸の滝の陰晴常ならず 四月十三日 草樹会。裸子会。孰れも身延山にて催す。身 延行にて得たる句出句。四月十四日、白糸滝を見る。 |
昭和45年(1970年)8月17日、星野立子は下部ホテルで高浜虚子の句碑を見る。 |
上沢寺へ寄り 下部ホテルに入る |
障子しめて冷房のゆきわたり来し 大石の蟻を払ひて腰かけぬ |
昭和三十三年四月十三日の父の句が 句碑となって建っている |
この行や花千本を腹中に 虚子 新涼のこゝまで来れば句碑見たし |