虚子の句碑

松原の続くかぎりの秋の晴



天屋玄龍旧居跡から松原公園へ。


 気比の松原は、三保の松原(静岡)、虹の松原(佐賀)と並ぶ日本三大松原のひとつ。

 昭和32年(1957年)10月4日、高浜虚子は敦賀市の招きで来遊。84歳の時である。

 更に氣比の松原に車を驅つた。一帶の松原が長く海岸に延びてゐる。所謂氣比の海である敦賀灣の水は長く前方に廣がつてゐて日本海に連なつてをる。景勝のところと呼ばれてをる花城(はなじり)海岸に車を降りた。用意して來た籐椅子二三脚は松の間の砂上に並べられた。私等は暫くそれに腰を下して景觀を恣にした。また或る時は渚まで歩を移してみて、その囁く如き靜かな波がわづかに杖の先をなぶるやうなのを見た。私は波打際を一二町も獨りで歩いてみた。

松原の續く限りの秋の晴
   虚子

籐椅子置き氣比の松原歩きもし
   同

靜かさやあるかなきかの秋の波
   同

何事か囁く如く秋の波
   同

秋風や氣比の松原只歩く
   同

秋風の吹くとしもなき汀ゆく
   立子


松原の続く限りの秋の晴

      十月四日 敦賀行。立子と共に。気比の松原。


靜かさやあるかなきかの秋の波

      十月四日。敦賀行。立子と共に。気比の松原。

『七百五十句時代』

松原公園に高浜虚子の句碑があった。


松原の
続くかぎりの
  秋の晴

昭和34年(1959年)4月8日、虚子は85歳で没。

 昭和35年(1960年)5月3日、高浜年尾は敦賀で虚子忌句会。

   五月三日 敦賀ホトトギス会、虚子忌句会 観光ホテ
   

底砂にがけあり海月漂へり

松原の春秋句碑のとこしなへ


 昭和55年(1980年)10月19日、『ホトトギス』壱千号を機に虚子生地の伊予青石で句碑建立。

高濱虚子翁昭和三十二年十月四日この地に来遊時の市長畑守三四治氏これが記念に翁の真筆による句碑を建立す

爾来広く文人墨客の親しむところなりしが風化損傷著しきものあり

茲に俳誌ホトトギス壱千号を機に翁の杖蹟を顕彰せんがため翁が生地の伊豫青石を選びて新たに建立せしものなり

石塚友二の句碑もあった。


後塵は拝すべからず萩若葉

 石塚友二石田波郷に師事、波郷亡き後『鶴』を主宰。

昭和61年(1986年)2月8日、石塚友二は79歳で死去。

同年6月、句碑建立。

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