虚子の句碑
古里の山国川に鮎釣ると
古里の |
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山国川に |
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鮎釣ると |
「句日記」昭和二十七年十一月八日の項に、「遠入たつみ邸に建つるといふ句碑の句」としてこの句が記されて居る。大分県中津市蛎瀬の遠入巽氏邸の玄関前に、昭和二十八年一月三日、右の句碑が除幕された。高さ四尺、横約三尺五寸、厚さ二尺の御影自然石の正面やや左寄りに縦一尺一寸、横一尺三寸の額縁輪郭をつけ、四行に刻む。その他には何の記載もない。 |
昭和28年(1953年)、高野素十は遠入たつみ邸を訪れている。 |
中津、たつみ居 炭籠の炭を耶馬炭かと思ふ 一本の梅満開といふ話 柔かき黄のちやんちやんこ身に合ひて 山国屋主の曰く春寒し
『野花集』 |
昭和31年(1956年)3月30日・31日、耶馬渓山国屋で遠入たつみ還暦祝賀句謡会。 |
三月三十日・三十一日 耶馬渓山国屋、遠入たつみ還暦祝賀句謡会 接待にわれ等夫婦もあづからん
『桐の葉』 |
昭和34年(1959年)3月19日、高野素十は遠入たつみ邸を訪れている。20日、ともに大観峰へ。 |
三月十九日 中津 遠入たつみ居 阿蘇野焼きとも角二人にて行かん 三月二十日 小国より大観峯に到る 牧の門に五十人ほど野焼衆 牧の犬出でて野焼の火を眺め 野焼にも何かと不平二三人
『芹』 |
昭和35年(1960年)、高野素十は遠入たつみ邸を訪れている。 |
中津 たつみ居を訪ふ 一句 枯蓮の田のつゞけるも変りなし
『芹』 |
昭和36年(1961年)9月21日、高野素十は遠入たつみの案内で耶馬渓に遊ぶ。 |
九月廿一日、遠入たつみ君の案内にて耶馬渓に遊ぶ 落鰻簗も終りの頃は大
『芹』 |
昭和37年(1962年)9月24日、高野素十は遠入たつみ邸を訪れている。 |
九月二十四日 中津 遠入たつみ居 十連寺柿一本は衰へし 十連寺柿の二本はよく生りし 秋晴の一日全く用のなし
『芹』 |
昭和38年(1963年)11月14日、高野素十は遠入たつみ邸を訪れている。 |
同十四日 中津 たつみ居 菊の虻一と花びらを立てて去る たびたびのちやんちやんこ也黄色也
『芹』 |
昭和44年(1969年)1月31日、高野素十は遠入たつみ邸を訪れている。 |
一月三十一日 高橋すゝむ先生快気祝いにて中津行、たつみ居 折角の我行かざれば河豚泣かん たつみ君は七十四 我七十七なれば 七十四七十七や梅の花 落鰻簗も終りの頃は大
『芹』 |
昭和45年(1970年)3月3日、高野素十は宇佐神宮で九州芹大会。2日、遠入たつみ邸へ。 |
同四日 中津、遠入たつみ居 十の花二十の花のクロツカス 四つの花二つの花やクロカツカス
『芹』 |