虚子の句碑

水温む利根の堤や吹くは北



大正7年(1918年)4月27日、高浜虚子は印旛沼吟行。

四月二十七日。午後四時十八分上野発印旛沼吟行。六時十八分、
安食著。安食より舟にて月の利根川を下る。九時竜台橋本楼著。
俳句会。俳話、泊。

会者、大口魚、草時雨、静水、亜石、今更、夜牛、霜山、泊雲、清児
梧桐、京魚、蕪子、的浦、としを、落魄居、一二、勇、一水、其
他利根吟社同人合せて八十余名。

 水温む利根の堤や吹くは北


栄町安食の長門川畔に高浜虚子の句碑があるというので、行ってみた。


国道356号(利根水郷ライン)の長門橋下に虚子の句碑があった。


水温む
 利根の堤や
  吹くは北

昭和47年(1972年)、栄町・芦の芽会建立。

 大正6年4月26日、子息としを氏を初め日日国民両新聞記者等20余名の同門を引き連れ、高浜虚子先生春の大利根に来る。これを迎えんとして参加する者、千葉・茨城の俳人160余名、丹波の泊雲氏醸造の銘酒「小鼓」を打ちながら安食の長門橋より高瀬舟に乗る。小鼓に酔春の歓喜交々唄ふ。ことに大漁節の合唱は對岸の人々を驚かしめ、灯ともる頃矢口川岸に上陸、それより龍路をたどり橋本旅館に泊り盛大な句会を催せり。為めに此の辺りの俳筵大いに興るを当時の国民新聞は報じ、又鈴木三羊もその模様をかく描写してゐる。

 「丹波の泊雲氏」は虚子の門人西山亮三。弟は野村泊月で、泊月の紹介で高浜虚子に師事した。

 大正4年(1915年)、高浜虚子の命名で清酒「小鼓」が誕生。東京のホトトギスの発刊所で小鼓が販売された。

「大同江図舫の事」「女流十句集に就て」「銘酒小鼓の事」を『ホ
トトギス六月号に。ホトトギス発行所にて泊雲醸造の銘酒「小鼓」
を取り次ぐ。


その当時の賑わいは、今では嘘のようである。

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