室町時代正平13年(1358年)、日輪寺を再興した天菴懐義(えぎ)が勧進鋳造したものです。 鐘は高さ115センチメートル、直径79センチメートルです。 外面の銘文には、銅銭百貫文で造られたことや製作に関係した人名などが記されています。 |
日本伝統俳句協会理事。ホトトギス同人。俳誌「阿蘇」主宰。句集「風間」「花明」「依然霧」「花の下」。熊日文学賞、熊本県文化懇話会賞ほか受賞。 |
赤穂義士の接待役 元禄15年12月15日夜半、芝白金(現在の東京都港区)の細川藩邸では藩主綱利侯自ら義士を玄関に出迎えて「武士の鑑だ」と激賞した。接待役の藩士堀内伝右衛門(250石取)も義士が切腹するまでの50日間、日夜その接待に全力を傾けた。 義士の遺髪塔建立 義士達は彼等の遺言により浅野家墓所泉岳寺に葬られたが、伝右衛門はせめて遺髪なりともと願い出て、許されて貰い受けそれを自分の知行地たる杉村(寺島の一部も)に持ち帰り菩提寺である日輪寺の境内に遺髪塔を建立した。 |
碑の正面上部に、松尾芭蕉作の「己が火を木々の蛍や花の宿」が彫られています。美濃派の流れを汲む山鹿の俳人、風斜(本名山下甚左衛門)が、芭蕉を仰ぎ建立したもの。当時、山鹿では俳諧が盛んでした。
山鹿市指定文化財 工芸 |