西南の役は明治10年2月に起こり、7ヶ月の間、九州の山河を地に染め同胞相搏ち、死傷実に3万1千人、有為の人材を多く失い、難民40万人を出した悲劇の戦いであった。しかしてその勝敗を左右したのは緒戦の熊本城攻防戦である。攻将は陸軍大将西郷隆盛、守将は鎮台司令長官谷干城、相対する50有2日、ついに救援軍を熊本に入れ、薩軍は城下を撤退し、以後明暗を分って押し移り、薩南城山に至って終熄した。 この後、熊本は惨憺たる被害を蒙った。時人歌って曰く「帰り着て燕や古巣たちぬらむ燃野となりし熊本の里」と。しかも草木芽ぐみて次第に旧に復する如く立直り、いつしか逞しく近代都市に成長した。 今年は西南の役100年である。「歩すれば到るところ彼我将兵勇士奮戦流血の地ならぬはない」往時を回顧すれば万感しきりに湧く、即ちこの碑を建てて相共に歴史の語るところに耳を傾くとしか云。 |