天平13年聖武天皇の勅願により僧行基が創建した官寺で、当時は方六町の寺域を有し七堂伽藍が完備されていた。その後弘法大師の中興により四国第29番札所となる。 鎌倉時代から戦国時代にかけ幾度もの戦禍や災害を受けて荒廃したが、室町時代末期に長宗我部氏の庇護を承け復興。特に元親が永禄元年金堂を再建し現在に至る。山内藩政時代にも寺領を与えられ、建物の造営修復は藩の援護を得て行われていた。 金堂(本堂)と木造薬師如来像二体並びに梵鐘は国の重要文化財。 また創建当時の土塁が残る寺域は国の史跡に指定されている。 |
桁行五間 梁間六間 単層四柱造柿葺 |
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本尊 千手観世音菩薩 |
金堂は七堂伽藍の中心となる建物で、本尊を安置するお堂。現在の建物は永禄元年(1558年)に長宗我部元親・元親親子により創建時の金堂跡に再建されたもので、柿葺(こけらぶき)と天平時代の建物に模した寄棟造りに特徴がある。 又、内部の海老虹梁は土佐最古といわれ吹寄垂木等に室町時代の特色がうかがわれる。明治37年に国の特別保護建造物に指定され現在に至る。 |
昭和19年(1944年)4月、高浜年尾は土佐を訪れている。 |
われらにも一菜の膳遍路宿 お遍路の静かに去つて行く桜 ふりかへる面輪やさしき遍路かな |
昭和27年(1952年)4月13日、星野立子は国分寺を訪れている。 |
国分寺へまはる。土塀の下が石垣になつてゐて、咲き 残る椿がまことに美しい。四国二十九番札所とある。止 手紙といふものを見る。七ヶ処遍路は小ぎれいな人々が 多い。 又来たる七ヶ所遍路女連れ
星野立子・未刊句日記 |