2019年高 知

岡豊山歴史公園〜長宗我部元親〜
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南国市岡豊(おこう)町八幡(やはた)に岡豊山歴史公園がある。

天文8年(1539年)、長宗我部元親は岡豊城で生まれる。

高知県立歴史民俗資料館に長宗我部元親飛翔之像があった。


平成27年(2015年)5月3日、建立。

二ノ段

 二ノ段は、堀切によって詰からヘだてられた曲輪(土塁や堀などで囲まれた城の一区画)で、長さ45m、最大幅20mのほぼ三角形で、南部には高さ60cmの土塁が30mにわたり残っていました。昭和60年(1985年)と昭和63年(1988年)に行なわれた発掘調査により、土塁は幅が約3m、高さが1mであったわかりました。建物跡などの遺構は発見されませんでしたが、焼土や炭化物を含む土の中からは、瓦や土師質土器、陶磁器など多くの遺物が見つかりました。深いところでは、地下1.8mから遺物が出土しており、二ノ段は、詰などから運ばれた土により造られ、土塁に囲まれた広い空間は、兵溜まりの場所と考えられます。

二ノ段からの眺望


詰下段 礎石建物跡

 詰下段は、詰の東に付属する小曲輪で、礎石建物跡1棟や土塁などの遺構が発見されました。

 礎石建物跡は、2間×5間(5.8m×9.2m)で、面積は五三uと大きく、東の土塁と西の詰斜面に接して建てられています。礎石には40〜60cmの割石が使われており、半間ごとに置かれています。

 土塁は、幅2.5m、高さ1m以上と考えられ、基部には土留のために2〜3段の石積みがあります。

 詰下段は、堀切に面し造られた土塁や建物跡なだからみると、二ノ段から詰への出入口を守るために造られた小曲輪であったと考えられます。

詰下段からの眺望


 詰は岡豊城跡の中心となる曲輪で、標高97mの岡豊山の山頂にあります。詰は1辺40mの三角形状で、東には二ノ段、南から西にかけては三ノ段、四ノ段が詰を取り巻くように造られています。

詰 礎石建物跡


 礎石建物跡は詰西南部で発見されました。この建物跡の南端は、40〜60cmの割石を幅1〜1.5m、長さ16mに敷いた石敷遺構で、その北側には建物跡の礎石が続いています。

 建物跡は、5間×4間(10.4m×7.2m)と1間×1間(1.4m×2.0m)の2棟で、面積は75uと3uです。この2棟は、石敷遺構でつながった東西方向の大きな建物です。この石敷遺構は建物の基礎として造られたもので、南側に土壁などの強固な外壁をもっていたとみられます。

 詰の建物跡は、その位置や基礎からみれば、近世城郭の天守の前身ともみられる2層以上の建物であったと考えられます。

あいにくの雨であった。


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