室戸岬も断崖を成せど、崖と海との間に余地ありて、巨巌錯落し、樹木点綴す。殊に岬の東面半里許りの間は、実に自然の公園也。絶壁の下には弘法大師の籠れりと伝ふる巌窟もあり。楼閣の大さもある巨巌相連りて海に臥し、樹木倒生し、横臥し、その葉の色の青黒きに、激飛する浪の白き花咲く。若し天下無頼の勝地を求むれば、余は先づ室戸岬を押すべし。 海万里入道雲の影白し
「土佐吟草」(室戸岬) |
2つの窟を通称「みくら洞」もしくは「みくろ洞」と呼んでいる。若き日の空海が修行をした場所と伝えられている。正面向かって右側の洞窟が修行をしていたとされる「神明窟」で、左側が生活をしていたとされる「御蔵人洞」である。修行中に悟りを開き、その際に口の中に明星が飛び込んでくるといった神秘的な体験をした後、その当時この場所から見た空と海だけの景色に感銘を受け、名前を「空海」と名乗るようになったと言われている。 |
明治15年(1882年)6月16日、渡辺水巴は東京府東京市浅草区浅草小島町(現在の東京都台東区小島)に生まれる。 明治34年(1901年)、内藤鳴雪を訪れ門下生となる。 明治39年(1906年)、高浜虚子に師事。 昭和21年(1946年)8月13日、藤沢市鵠村で没。享年65。 |
この岩の形が烏帽子(武士や貴族の帽子)に似ていることから、エボシ岩と呼ばれている。エボシ岩はマグマが地中でゆっくり冷えてかたまった「班レイ岩」という岩石でできている。室戸がまだ深海に深海にあったころ(約1,400万年前に、海底の地層にマグマが入ってきた。そのマグマが地中深くで活動でゆっくり冷えて固まると大きな結晶をもつ班レイ岩ができる。大きい白い結晶が斜長石、黒い結晶が輝石である。 |
約1,400万年前、マグマが地層に入り込んで固まった岩(斑レイ岩)である。斑レイ岩は丈夫で、波があたっても削られにくいので、高くておもしろい形の岩ができる。そのため、古くから言い伝えが残っている。この岩には「おさご」という絶世の美女が自分をめぐり、若者たちが争ったのを悲しみ身投げしたという伝説がある。 |
昭和6年(1931年)4月3日、高浜虚子は室戸岬を訪れている。 |
岩の間に人かくれ蝶現るゝ 龍巻に添うて虹立つ室戸崎 龍巻も消ゆれば虹も消えにけり 沖の方曇り來れば春の雷 四月三日、室戸岬行。 |
この句碑は高知県安芸郡室戸岬町室戸岬の東方にある。高さ六尺二寸、幅一尺五寸、厚さ六寸の角碑で、昭和二十六年二月の建設に成る。昭和六年虚子翁がこの地に吟遊された時、岬の遙か南の海上に突如竜巻が起った。即ちこの作あり、地元の梧桐会、葦草会の発起により揮毫を請うて句碑が出来た。 なお土佐にある虚子翁句碑は、建設年代順でいうと、貫之館址のが最初であり、次が室戸岬、それから伊野および弘岡下ノ村城念の順になるが、四基とも申合せた如く同じような型の角柱碑ばかりである。 |
昭和6年(1931年)5月、吉井勇は初めて土佐に遊ぶ。 |
空海が修法の洞の窟(いはや)もり古かはほりにものを問ひそね 空海が大きみ足のあとも見る室戸岬のたちばなの道
『人間經』
空海の窟(いはや)かしこし沖邊より吹き來る風もここに來て凪ぐ ありがたく猛(たけ)き岩かも空海のこころをもちて海とたたかふ 室戸山明星院へゆく道をなかば來て聽く蜩(ひぐらし)のこゑ 砂しろき室戸の浜の遍路みち夏深ければ人も通はず
『旅 塵』 |
昭和30年(1955年)12月、山口誓子は室戸岬を訪れている。 |
この床几吾も休めど遍路のもの 遍路白くてかたまるはかく哀れ 遍路負ふ米の重たき膨らみを 逆遍路室戸の岬をひとり過ぐ 海道を暮れて歩ける遍路ひとり 遍路夜明す岸壁の洞窟に
『構橋』 |