是より南方六里蹉タ(あしすり)寺。かねて耳おどろく靈山。蓬むぐら荊畔(うばらくろ)七十八坂の曲徑(まがみち)。脛たゆく臺笠(すげがさ)さへ重げなる。里を離(かれ)たる遠山にて。道をとぶべき柴童もなく。岸は屏風をたてぬれば。たまたま見つけし船よはび。沖津はるかにはぢむら(※「舟」+「鳥」)の。聲ばかりもや答ふらん。ましてやこゝはおどろおどろしき鯨よる浦となん。過し冬月に百五十尾鉄網にとらはれしも。かはゆや大の虫を。世のたつきはいづらはあるべき物を。放生の心こそなからめと。爪彈きしながら陀羅尼手向。法界水躰一味平等に念じて。御寺に着。
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山門を入ると、高木晴子の句碑があった。

渡海僧おもふ卯浪の沖を見る
渡海僧は南の極楽浄土を目指して舟出した補陀落渡海僧のこと。
高木晴子は高浜虚子の五女で、高浜年尾、星野立子の妹。
平成2年(1990年)6月23日、建立。
多宝塔

多宝塔の側に芭蕉の句碑があった。

けふはかり人もとしよれ初時雨
出典は『韻塞』(李由・許六共編)。
元禄5年(1692年)10月3日、赤坂彦根藩邸中屋敷で開かれた五吟歌仙の発句。
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文政3年(1820年)10月、建立。
大師堂

大師堂の側にも高木晴子の句碑があった。

夏潮に珊瑚の吐息きゝとむる
蹉タ山補陀洛院金剛福寺

真言宗豊山派の寺である。
本堂を取り巻くようにして黒田杏子献燈十二句碑が建立されている。

ガンジスに身を沈めたる初日かな
昭和13年(1938年)、黒田杏子(ももこ)は東京市本郷生まれる。山口青邨の門人。俳誌「藍生」(あおい)を創刊主宰。
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発起人、金子兜太・瀬戸内寂聴。
平成29年(2017年)12月3日、除幕。
金子兜太98歳、瀬戸内寂聴95歳、長寿である。
平成30年(2018年)2月20日、金子兜太は98歳で没。
令和3年(2021年)11月9日、瀬戸内寂聴は99歳で没。
足摺岬灯台へ。
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