2021年高 知

開成館跡〜東九反田公園〜
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高知市九反田に東九反田公園がある。

高知城下町名今昔

 九反田

 江戸時代初期、田地がわずか九反といわれるほどの湿地帯であったことに由来する町名。寛文2年(1662年)に種崎町から藩の米蔵が移され、のちに鮮魚の常設市場(雑喉場(ざこば))も設けられた。藩政後期には、農人町から西へ縦堀が掘りすすめられて、川の交差点ができ、幡多倉橋も架けられた。幕末、町の東部には、藩の富国強兵策に基づく総合機関・開成館が造られた。

東九反田公園に「開成館跡」がある。


土佐藩は幕末の財政難の中で、富国強兵・殖産興業を目ざし城下町の海の近くの九反田に「開成館」を創設した。(慶応2年・1866/2/5

開成館の敷地は、南の鏡川から北の堀川まであり、石垣や石積みなど湿地帯特有の工事が多用され、また松の木も多く植えられていた。

絵図上半分は、高台になっている。高台右側にある開成門をくぐると、開成館の本館がある。小津町に残っている開成門。あの大きな材を存分に使った造りから、重厚な造りの本館が想像できる。

開成館は、土佐藩近代化時代の統括機関であり、教育機関でもあった。開成館の最高責任者、後藤象二郎は、創設後すぐに開成館貨殖局の機能を長崎の土佐商会に集中し、自らも長崎に乗り込んだ。

後藤象二郎と坂本龍馬岩崎弥太郎が会ったのは、まさに開成館があったからこそである。

大政奉還、明治維新、廃藩置県、自由民権運動…。開成館は、こうした歴史の経緯をよく知っている。

土佐精神集積鍛錬の聖地

 この地には、幕末の開成館設置から始まる土佐の近代の歴史が積み重なっています。開成館は、西洋文明の導入をはかり、土佐藩近代化の礎となる活動をおこないました。

 さらに、維新三傑と土佐藩首脳との会談の舞台ともなりました。

 明治初頭には、立志社・立志学舎が創立されて自由民権運動の発祥の地となり、その後、海南学校が置かれ多くの人材が巣立っていきました。

 昭和には、板垣旧邸が移築されて憲政館となり、あわせて「憲政之祖国」碑が建立され、土佐精神を今日まで顕彰してきました。

開成館址 西郷木戸板垣三傑会合之地


開成館と「三傑会合之地」

 幕末激動期の慶応2年、山内容堂の後ろ盾を得た後藤象二郎が中心となり、土佐藩の殖産興業・富国強兵を進めるため、開成館を設立しました。

 開成館は、軍艦局・貨殖局・勧業局・火薬局・医局、大阪・長崎出張所(土佐商会)等を設置し、専売品の売りさばき、艦船・銃砲の輸入などをおこない、土佐藩の産業・軍事力の向上や、技術教育・翻訳など西洋文明の導入に成果をあげました。これらの活動には中浜万次郎・細川潤次郎・岩崎弥太郎らが活躍しています。

 明治3年、開成館は寅賓(いんひん)館と改称され、外来客を接待するために使われました。

 翌年、維新三傑の西郷隆盛木戸孝允大久保利通を迎えて、板垣退助・福岡孝弟との薩長土首脳会談がおこなわれ、三藩から朝廷へ御親兵(のちの近衛兵)を献上するという維新史上の重要な政策を決定しています。

立志社と海南学校

 明治6年の政変で政府参議を辞した板垣退助を中心とする土佐士族は、翌年立志社と立社学舎を設立、明治9年この地で活動しました。

 立志社は、自由民権運動を代表する結社として全国にその名をとどろかせ、立社学舎は、新思想を教育して多くの民権家を育てました。

 明治11年には、民権派が地方自治を求めて開催した第2回土佐州会の会場にもなっていました。

 明治13年になると、山内家が東京で経営していた海南私塾の分校が鷹匠町から移転し、後に本校と合同して海南学校に発展、質実剛健の校風で知られました。

 その後、海南学校は明治22年に県立中学海南学校、昭和7年には県立城北中学校と合併して県立海南中学校となりました。現在、その校史は県立高知小津高等学校に引き継がれています。

「憲政之祖国」碑


憲政館と「憲政之祖国」碑

 昭和11年、土佐政界の長老たちが大松倶楽部という親睦団体を創立した。

 昭和16年に大松倶楽部は、当時料亭として使われていた板垣旧邸を移築して憲政館と命名し、さらに「憲政之祖国」碑、「嗚呼不朽」碑を建立して、我が国の憲政創設に果たした土佐の功績を後世に伝えようとしました。

 これらの事業の中心で活動した水野吉太郎は、伊藤博文を暗殺した朝鮮独立運動家・安重根の国選弁護人を務めた人物でした。

 戦後、憲政館が老朽化したため、板垣会や土佐史談会の陳情もあって、高知市は昭和41年高知市憲政記念館を新築開館し、憲政資料を収集、展示しました。

 その後、高知市憲政記念館も老朽化が進んだため、平成16年その機能を高知市立自由民権記念館に移して取り壊し、新たに史跡公園として整備することとなりました。

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