大正九年六月の半頃より九月の末まで余は土佐国中を遍路したりき。大正の今日、なほ汽車を有せざる国といふ一語にても知らるゝ如く、交通不便の為めに、土佐の景勝は未だ世に顕はれざるが、唯龍串は天下の一奇景として、少しは人に知らる。
「土佐吟草」(龍 串) |
琴平神社は讃岐の金刀比羅宮と同じ大物主神を祀り、漁業、航海など海上の安全を守る「海の神様」として信仰される。本殿は木造の流造りで各所に繊細な彫板が施され、拝殿はコンクリート造である。境内からは町全体が眺望でき、東側には伊野の俳壇同人と芭蕉の句を刻んだ県内最大の句碑群がある。 |
嘉永5年(1852年)、伊野の俳人たちが、芭蕉翁を追慕して建立した「春の夜はさくらに明けて仕舞いけり」の芭蕉句碑と、この句碑建立を記念して、伊野の俳壇同人がそれぞれ自作の句を刻み建立したもので、当時はこれより多かったのではないかと思われる。 数の上では県下最大の句碑群である。藩政時代末期の伊野は、御用紙漉で栄え、経済は豊かで、文化水準も高く、俳句も盛んであったことを物語る貴重な資料である。 |