四月三日。室戸岬行。 山橋を現れ来る遍路かな 春潮や網の中なる舟一つ 網の上漕ぎ過ぐる舟や春の潮 遍路の子五形花摘んで送れをり 杖ついて車よけをる遍路かな 春潮の騒ぎて網を曳くところ
『句日記』 |
坂本龍馬の妻お龍と、海援隊士菅野覚兵衛の妻君枝(起美)の姉妹の像が建った由緒について記す。お龍は京都の医師楢崎将作の長女であり、菅野覚兵衛(千屋寅之助)は現芸西村和食の庄屋の出で、その妻君枝は将作の三女である。すなわちのお龍の実妹であった。 お龍は龍馬を失ったあと、明治元年から1年余り、妹の嫁ぎ先千屋家に身を寄せた。この琴ヶ浜にお龍と君枝の像を建てて追善し、併せて義兄弟の龍馬と覚兵衛の2人を記念したいという、芸西村の人たちの温かい気持が実ってこの姉妹の像となった。 お龍は伏見寺田屋で龍馬の危機を救い、亀山社中、海援隊と奔走する龍馬を助け、時代に先がけた新しい女性として夫のために献身した。龍馬はお龍の妹君枝を気づかい、菅野覚兵衛とめあわせることを望んでいた。龍馬の没後の慶応4年、覚兵衛と君枝は長崎で結婚した。16歳の花嫁であった。 お龍の墓は横須賀市の信楽寺に、君枝の墓は東京都港区南麻布の光淋寺にある。松籍と潮音の響く景勝の琴ヶ浜に、数奇な運命の姉妹の魂が相寄って立つ光景は、多くの人々に深い感銘を与えることであろう。 |