平成15年(2002年)、廃業。 平成31年(2019年)2月、開業。 |
昭和6年(1931年)、竹内栖鳳は胃潰瘍を患ったことを機に静養のため湯河原町を訪れる。 |
湯河原に靜養せらるゝ栖鳳先生を訪ひいと健やかにお はしけるを悦びて 若うなり顔風薫る |
昭和17年(1942年)8月23日、竹内栖鳳は湯河原町の天野屋旅館別荘で病気療養中、肺炎のため亡くなった。 |
栖鳳の死 八月二十四日、竹内栖鳳先生湯河原の里にて 逝きたまへりといふ知らせを聽く。巨匠亡き 後の畫壇の寂しさは思ふだに堪へがたし。 栖鳳の描きし狗ころいまはその涅槃圖中のものと思はむ 一生にただ一硯のつつましき心おもへばひとり泣かるる あはれわが栖鳳は死にたまひけり千代田城圖を絶筆として 畫ぼとけの栖鳳ぼとけ安らかにおはせとばかり合掌しまつる 栖鳳の繪を前にして香焚きぬその死を歎くおもひしづけく
『霹 靂』 |
安井曾太郎は、明治21年京都に生まれ、パリ留学を経て二科会、一水会で活躍し、昭和27年文化勲章を受章した近代洋画家です。 昭和24年に湯河原の天野屋旅館新館にあった旧竹内栖鳳画室に転居して移り住み、湯河原で亡くなりました。 この記念碑は、昭和62年、安井曾太郎の33回忌にあたり、門下生である連袖会の会員により建立されたものです。当初、旅館敷地内の旧住所前に設置されていましたが、旅館が取り壊されるのを機に、連袖会から町に寄贈され、平成21年3月この地に移設したものです。 |