昭和12年(1937年)2月7日、高浜虚子は武蔵野探勝会で曽我梅園を訪れている。星野立子・富安風生等同行。 |
梅や椿の梢越しにはるかに海を見下ろす景勝の地を占め、一たいに民芸風の好みの構へ、支那風の書斎、農家風の囲爐裏の部屋も開放して、蘭花の湯、大粒の金平糖、木瓜酒といふ風変りのおもてなし、ことに金平糖は虚子先生も大変お喜びになつた様子だつた。 雨が降つたり霽れたりして外はひしひしと寒い様子に尻込みして、ふたゝび出てゆく者は少なかつた。囲爐裏の部屋の囲爐裏にあふれ、水竹居翁、風生氏を中心に談笑してゐた人々もやがて句案に専念した。碧梧桐初七日の法要をすませて来られた黒の喪服の虚子先生は廻り縁の疊廊下に端座せられて、荘の大玻璃戸越しに早春の寒雨にけぶる梅花村をじゅつと眺めてうごかれなかつた。 梅林の中の庵に我在りと 虚子
『武蔵野探勝』(曾我の里) |
客ありて梅の軒端(のきば)の茶の煙 二月七日 武蔵野探勝会。相州下曾我梅林。加来金升邸。 |
鵯を吸いひ込み大樹うつさうと
『立子句集』 |
梅多しなかなか多し腹へりぬ 客を待つ打水したり梅の門
『松籟』 |
昭和39年(1964年)7月15日、星野立子は下曽我「雄山荘」で句謡会。 |
七月十五日 句謡会 下曽我 雄山荘 |
日傘さし歩くほかなし森見え来 まづ熱き茶を汗さつと引きにけり 人涼し此処まで遙か来れば旅 |