暦仁元年(1238年)、木造の大仏造営を始めた。 |
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寛元元年(1243年)、大仏開眼。 |
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宝治元年(1247年)、暴風雨の為に大仏倒壊。 |
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建長4年(1252年)、金剛の大仏造営を始めた。 |
元禄12年(1699年)、服部嵐雪は鎌倉大仏で名月を見ている。 |
ことしも名月は、鎌倉大佛にて見る。 明月は南を得たり佛頂珠
『杜撰集』(塔澤記) |
延享2年(1745年)10月15日、白井鳥酔は光明寺を訪れている。 |
乙丑(延享2年)孟冬十五日夜、そこの国へ行脚の頃、晩成・雨竹両士にそゝなかされ、鎌倉の夜歩行して三章 |
大仏 |
白毫は舎に冴て星の中 |
光明寺 |
今はまく青砥の銭も十夜かな |
鶴ケ岡 |
仰向は高し霜夜の鶴か岡 |
大仏 壺菫仏の庭にちいさしよ
加舎白雄「鎌都」 |
鎌倉大佛 大佛にはらわたのなき涼しさよ
『寒山落木 巻一』(明治二十五年 夏) |
『恋衣』(明治38年1月刊)
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昭和27年(1952年)4月、鎌倉大仏造立700年記念に味の素株式会社が建立した。 |
昭和2年(1927年)11月24日、ホトトギス婦人俳句会が生まれる。 |
よい句ではないけれど、婦人句会の最初の記念として。 大仏の冬日は山に移りけり |
昭和11年(1936年)4月4日、山頭火は鎌倉を散歩して長谷の大仏を訪れている。 |
昭和21年(1946年)6月20日、高浜虚子は鎌倉俳句会で長谷大仏を訪れている。 |
夏山を軒に大仏殿とかや 六月二十日 鎌倉俳句会。長谷大仏境内、大仏殿。
『六百五十句』 |
昭和33年(1958年)5月10日、大仏殿で大仏句会。 |
夏蝶の高く上りぬ大仏(おおぼとけ) 五月十日 大仏句会。大仏殿。
『七百五十句』 |
明治36年(1903年)11月15日、星野立子は東京府麹町区富士見町(現・東京都千代田区)に生まれる。 大正14年(1925年)、鎌倉彫職人の星野吉人と結婚。 昭和5年(1930年)、長女早子(椿)誕生。 昭和5年(1930年)6月、初の女性主宰の俳誌『玉藻』創刊。 昭和48年(1973年)11月15日、玉藻会有志は星野立子の句碑を建立。 昭和59年(1984年)3月3日、80歳で歿。 |