2007年神奈川

鎌倉大仏〜与謝野晶子歌碑〜
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江ノ電長谷駅から高徳院「鎌倉大仏」へ。


高徳院は浄土宗の寺院。

「鎌倉大仏」


暦仁元年(1238年)、木造の大仏造営を始めた。
寛元元年(1243年)、大仏開眼。
宝治元年(1247年)、暴風雨の為に大仏倒壊。
建長4年(1252年)、金剛の大仏造営を始めた。

阿弥陀如来坐像で、鎌倉唯一の国宝仏だそうだ。

 元禄12年(1699年)、服部嵐雪は鎌倉大仏で名月を見ている。

ことしも名月は、鎌倉大佛にて見る。

   明月は南を得たり佛頂珠

『杜撰集』(塔澤記)

 延享2年(1745年)10月15日、白井鳥酔は光明寺を訪れている。

乙丑(延享2年)孟冬十五日夜、そこの国へ行脚の頃、晩成・雨竹両士にそゝなかされ、鎌倉の夜歩行して三章
大仏
白毫は舎に冴て星の中
光明寺
今はまく青砥の銭も十夜かな
鶴ケ岡
仰向は高し霜夜の鶴か岡


   大仏

壺菫仏の庭にちいさしよ

加舎白雄「鎌都」

桜の満開には、まだ早かった。

   鎌倉大佛

大佛にはらわたのなき涼しさよ

『寒山落木 巻一』(明治二十五年 夏)

「鎌倉大仏」の奥に観月堂がある。

観月堂


鎌倉三十三観音霊場第二十三番札所で、聖観音像を安置するそうだ。

観月堂の側に与謝野晶子の歌碑があった。



鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな

『恋衣』(明治38年1月刊)

 昭和27年(1952年)4月、鎌倉大仏造立700年記念に味の素株式会社が建立した。

「釈迦牟尼」と詠んでいるが、実は阿弥陀如来なのである。

それにしても、「美男」であろうか。


境内にリスがいた。


アメリカではリスを見たが、日本でリスを見るのは初めてだ。

リスは「栗鼠」と書くように、鼠のようだ。

 昭和2年(1927年)11月24日、ホトトギス婦人俳句会が生まれる。

 よい句ではないけれど、婦人句会の最初の記念として。

  大仏の冬日は山に移りけり


 昭和11年(1936年)4月4日、山頭火は鎌倉を散歩して長谷の大仏を訪れている。

 昭和21年(1946年)6月20日、高浜虚子は鎌倉俳句会で長谷大仏を訪れている。

夏山を軒に大仏殿とかや

      六月二十日 鎌倉俳句会。長谷大仏境内、大仏殿。

『六百五十句』

 昭和33年(1958年)5月10日、大仏殿で大仏句会。

夏蝶の高く上りぬ大仏(おおぼとけ)

      五月十日 大仏句会。大仏殿。

『七百五十句』

高徳院に星野立子の句碑もあった。


大佛の冬日は山に移りけり

星野立子(1903−1984)は高浜虚子の次女。

 明治36年(1903年)11月15日、星野立子は東京府麹町区富士見町(現・東京都千代田区)に生まれる。

 大正14年(1925年)、鎌倉彫職人の星野吉人と結婚。

 昭和5年(1930年)、長女早子(椿)誕生。

 昭和5年(1930年)6月、初の女性主宰の俳誌『玉藻』創刊。

 昭和48年(1973年)11月15日、玉藻会有志は星野立子の句碑を建立。

 昭和59年(1984年)3月3日、80歳で歿。

2007年神奈川