2021年神奈川

ふじさわ宿交流館〜東海道五十三次藤沢〜
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遊行寺橋(旧大鋸橋)・高札場跡


東海道五十三次藤沢(狂歌入り)

うちかすむ色のゆかりのふち沢や雲居をさして登る春かな

松吟庵清風

江戸からの東海道を進むと、東海道第六の宿、藤沢宿内の遊行寺橋(旧大鋸橋)で境川(片瀬川)を越えて鎌倉郡から高座郡に入ります。橋を渡って、右手が大久保町。橋のたもとに高札場があり、公定運賃 の定め、キリシタン禁制など、徳川幕府の重要法令が掲示されていました。左手(南側)には「江の島一ノ島居」が建てられていました。江の島弁財天の川の鳥居で、東海道と別れて鳥居をくぐれば、「江の島道」です。

ふじさわ宿交流館


 広小路とは、もともと「火除け地」を意味します。江戸の街ではたびたびの火災で多くの人家が焼失したので、幕府は1657年の明暦の大火前から火除け地を計画していましたが、護持院の焼失(1717年)を契機に八代将軍吉宗は、この地を火除け地とし、さらに江戸市中にとどまらず、各地の重要社寺等門前にも設定しました。

 藤沢広小路は大鋸(だいぎり)とも言われ、時宗総本山清浄光寺(遊行寺)門前の商家が櫛比(しっぴ)していた場所に設けられました。この場所は人々の往来も繁く、各地に知れ渡って、日本三大広小路の一つとも言われていました。また、東海道五十三次の「三曲がり」としても有名でした。

 ふじさわ宿交流館は、この藤沢広小路の一角に建てられています。

高札場


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