永き日のわれ等が為の観世音 三月九日 大麻唯男、亡き娘栄子の為め長谷観音境内に観音 像を建立し、その台石に彫む句を徴されて。 |
大麻唯男さんと高濱一家とは戦後のおつきあひではあつたが、住居が近く親しかつた。長谷観音境内に亡き娘栄子さんの冥福を祈られて観音像が建つた。その台石にこの句が彫られた。常の花と双葉山が力石の儀式をした。
『虚子一日一句』(星野立子編) |
久米正雄は東大在学中、芥川龍之介、菊池寛らと第三次、第四次『新思潮』を創刊。夏目漱石門下となる。初代鎌倉ペンクラブ会長。 |
昭和28年(1953年)6月8日、高浜虚子・久保田万太郎は大野万木の句碑除幕式に招かれている |
六月八日 大野万木句碑 長谷観音境内に建ちたるに招かれて 梅雨やむも降るも面白けふの事
『句日記』 |
鎌倉長谷觀音境内、大野万木翁句碑除幕式 人の世の梅雨をいとへと建ちし碑か
『流寓抄』 |
昭和45年(1970年)1月4日、高浜年尾は坂東観音巡りで長谷寺へ。 |
一月四日 坂東観音巡り 杉本寺、安養院、長谷寺を 巡り、原の台虚子庵 鎌倉の観音巡り時雨つゝ 春近き長谷観音の冬椿 鳩どもに春近き長谷観世音 |