街 道
善光寺街道〜お仙の茶屋跡〜
麻績宿から国道403号で聖湖に向かうと、聖湖の手前に「お仙の茶屋跡入口」があった。 |
塩尻市の洗馬よりここを通り善光寺へ向うのが北国脇往還です。この道は、善光寺街道とも言われ、善光寺参詣で賑わいました。 また、江戸時代には信州や越後と両国を結ぶ重要な路線として整備され、人々の往来が盛んでした。 この道を約200米ほど下ると弘法清水とお仙の茶屋跡があります。お仙の茶屋は当時の旅人の憧れと憩いの場所で、今に残る馬場節の一節がそれを物語っています。 |
この清水はもと一杯清水と云ったが、弘法大師がこの地を訪れてから弘法清水といわれるようになったと伝えられる。当時、この茶屋にお仙という美しい娘が住んでいて、村の若者たちのあこがれの的であった。しかしお仙は人知れず旅の武士を慕い悲恋の一生を終わった。俳人松尾芭蕉翁は「さざれ蟹足這いのぼる清水哉」の句を残している。
麻績村 |
臼井鳥峨は麻績村の酒造家臼井丸太夫。晩年朴翁と号した。妻も東紅と号する俳人。 |
文政3年(1820年)、十返舎一九は『金草鞋 十三編』(善光寺草津道中)で「弘法清水」と「芭蕉の碑」があると書いている。 |
それよりあをやぎのしゆく。こゝよりおばすてさらしなへ出る道なり。すぐにさきのおみのしゆくへ出る道なり。あをやぎよりおみへは一り、おばすてへまわれば二りなり。おみのあいだにさるがとうげあり。こゝにくはうぼうし大しのしみづ、ばせをのひあり。 ○旅人も顔真赤にしてのぼる猿が峠の難所には ○桃もりしやうにころころさらかごにのりてぞさるがとうげをぞゆく |