街 道


鎌倉街道〜広木の一里塚榎跡〜

摩訶池から国道254号で児玉に向かう。

鎌倉街道(上道)のみちすじ

 鎌倉街道(上道)は源頼朝が建久3年(1192年)鎌倉に幕府を開いてから、天正18年(1590年)に北条氏が亡びるまでの約400年間、主要な道路としての役割を果たしてきました。

 幕府成立とともに整備された中世の道といわれ、武蔵武士を代表する畠山重忠をはじめ、新田義貞等名将たちが栄枯盛衰の物語を刻みつけた道で、県の歴史に大きな影響を及ぼしております。

 さらにこの道は鎌倉から関東諸国へ、あるいは遠く信濃、越後方面に通じ、兵士や軍馬の通った道であり、また諸国の武士たちが鎌倉へ参集するために利用された、政治的、軍事的機能をもつ道でありました。

埼玉県

見馴川橋手前に「広木の一里塚榎跡」があった。


広木の一里塚榎跡


 広木の一里塚は、鎌倉街道沿いに1里ごとに土を盛って、里程の目標とした塚です。

 かつてここには、町指定天然記念物で樹齢400年の榎がありました。幹の周囲は、目通り2.3m、高さ15mで、枝ぶりもよく、実にすばらしいものでした。しかし、現在は、枯れて切り株のみが残されています。この根元に、文化4年(1807年)の馬頭尊が立っています。

 ここで美里町の鎌倉街道は終り、榎の南根元を西に曲って児玉町陣街道につづきます。

見馴川橋を渡ると、児玉町。

児玉町に「八幡神社の高札場」がある。

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