牧水歌碑
百草園
うちしのび夜汽車の隅にわれ座しぬかたへに添ひてひとのさしぐむ 野のおくの夜の停車場を出でしときつとこそ接吻をかはしてしかな
第2歌集『独り歌へる』 |
百草園の歴史は古く、享保年間(1715年頃)松連寺の庭園として作られ、文化・文政の頃より歌会や句会などで賑わっておりました。 明治に入り、代表的歌人若山牧水(明治18年8月24日、宮崎県に生れる)も早稲田大学に在学中、武蔵野の自然を愛し、度々百草園を訪れております。 明治41年春、恋人園田小枝子と共に百草園で楽しい一時を過ごし、 |
と恋人に対する親しみと憧れの心を詠み、翌年夏この歌を加えた歌集『独り歌へる』を編纂し、歌人としての名声を得ることになりました。 ここに生誕百周年を迎えるにあたり、歌人若山旅人氏(牧水の長男)の選歌揮毫による歌碑を建立し、記念するものであります。 昭和60年11月吉日
日野市観光協会 京王電鉄株式会社 日野市教育委員会 |
山の雨しばしば軒の椎の樹にふり来てながき夜の灯かな 摘みてはすて摘みてはすて野のはなの我等があとにとほく続きぬ 拾ひつるうす赤らみし梅の実に木の間ゆきつつ歯をあてにけり
百草園にて 若山牧水 |
大悟法利雄『牧水歌碑めぐり』によれば、62番目の牧水碑である。東京では立川駅北口の牧水歌碑に次いで2番目。 |