与謝野晶子 | 与謝野鉄幹 |
歌人与謝野鉄幹(寛)・晶子夫妻は、昭和4年7月から8月にかけて山本実彦氏(当時改造社長)の案内で47年ぶりに来鹿、県下各地を歴訪したが、8月1日この瀬平海岸で休息し、当時の樋渡盛廣村長の歓待を受けた。この2首は洋上に屹立する開聞岳の雄姿、樋渡村長の厚遇に対えて詠んだもので、そのときの歌集「霧島の歌」の中に収録されているものの1つである。その歌集の前書には「自動車を南薩に駆る。・・・・池田湖に到り、次いで頴娃村に出で、迫平(瀬平)の海岸に小憩して近く開聞獄を仰ぎ、また南海を展望す。竹嶋、硫黄島、屋久嶋等、遠く水煙模糊の間に在り。頴娃の村長樋渡盛廣氏追ひて到り、西瓜その他を饗せらる。雲ありて、しばしば開聞獄を遮る。」とあり、この地からの眺望の素晴しさを述べている。またこの瀬平海岸は、むかしは「瀬平渡り」といって、海岸に突き出た岩と岩との間を波しぶきを浴びながら跳んで渡るという難所で、ここから約50メートル西方国道沿いの崖の洞穴には,元禄4年(1691年)にこの難所の交通安全を祈って作られた瀬平観音像も安置されている。観光協会は、この由緒ある景勝の地を永く後世に伝えるため、与謝野夫妻の歌碑を建立するものである。
頴娃町観光協会 |
平成19年(2007年)12月1日、頴娃町は川辺町、知覧町と合併し南九州市となった。 |