薩摩島津家が文禄2年(1593年)、豊臣秀吉により改易された後、一時この地は秀吉の直轄領となりました。その後、慶長の役での島津氏の活躍に対する恩賞として慶長4年(1599年)に再び島津氏に返還されると、島津忠恒(初代薩摩藩主)は、出水地頭に本多正親を任命し、領地の復興に当たらせました。 藩主の実父である島津義弘は、出水が国境の重要な地であると考え、この地に移住し防衛に当たるため、帖佐(姶良市)にあった居館の門を移築しましたが、義弘の居住は関ヶ原の戦いなどで実現しなかったと伝えられています。 その後、この門は、藩主の地方巡狩や参勤交代の宿泊所である御仮屋の門として、現在は出水小学校の校門として400年以上経った今も利用されています。
出水市教育委員会 |