バスはもとの県道に戻り、刻一刻開聞岳に近づいて行つた。しかしこの青く繁つた山は、終にその雲を脱がなかつた。私は雲を被たこの山を枚聞神社の背後に、また池田湖の丘の上に見た。
運転手の説明によると、開聞岳と池田湖とはいづれも一夜のうちに隆起し、陥没したのださうである。なるほど地図で見較べると、山の裾まはりと湖の周囲とはほぼ同じくらゐだつたし、それに何しろ両者の中心間の距離がせいぜい一里そこそこだつたので、さういふ地異もありさうなことに思はれた。(これば富士山と琵琶湖になると、両者は余りにも距たり過ぎてゐる。その為にこの両者が一夜のうちに生成したといふ話は伝説以上の実感を伴はないのである)
バスは池田湖を中心にぐるりと周つて、またもとの指宿に帰つて来た。雨は途中からすつかり止んでゐた。
「南薩行」 |
昭和14年(1939年)10月12日、斎藤茂吉は池田湖を訪れている。
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昭和33年(1958年)4月、水原秋桜子は池田湖を訪れている。
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指宿観光ホテルに泊る。二十日快晴。指
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宿を発して池田湖に至る。開聞神社にて
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岳の雲鬱々凝りぬ樟若葉
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『蓬壺』 |
開聞岳が映るというが、あいにくの曇り空だった。
開聞岳登山口へ。
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