水鳴れば |
||||||||||||||||
谷かと思ひ |
||||||||||||||||
遠き灯の |
||||||||||||||||
見ゆれば原と |
||||||||||||||||
思ふ湯場の夜 |
明治の女流歌人与謝野晶子(1878〜1942)は、昭和4年、夫鉄幹と共に、懇意の間柄であった川内出身で大手出版社(改造社)の社長山本實彦氏の招きにより、鹿児島吟行を行っております。 半月ほどの滞在のなか、市比野温泉を訪れ、現在も旅館として営業されているみどり屋旅館(文献では緑旅館)に宿泊し、7月30日の夜に詠んだのが歌碑の歌であります。 これらの事実は、一部史家の間では知られていましたが、旧樋脇町郷土史にも記録がなく、地元ではほとんど知られていませんでした。 平成18年、当時薩摩川内市樋脇支所長(前川内まごころ文学館長)の桐原大明氏により、市比野温泉の新たな観光資源として活用されることを願って紹介されました。 その後、平成20年に地元篤志家により、歌碑が建立されたものです。 |
市比野温泉 |
天の川入來のふもと市比野の糊つけごろも竪き夜にして |
闇ひろく續ける中の市比野をさぐりて借れる草枕かな |
入來より來る車の灯を見つつ旅人の立つ市比野の橋 |
水鳴れば谷かと思ひ遠き灯の見ゆれば原と思ふ湯場の夜 |
山川の濁るはさびし市比野の湯場に設くる橋普請とて |
大海の種子嶋より目じるしにして船來てふ八重山くもる |