昭和14年(1939年)10月、斎藤茂吉は枚聞神社を訪れている。 |
枚聞の神の社にをろがみてわたつみの幸をあまた眼に視し たわやめの納めまつりし玉手筥そのただ香にしわが觸るごと
『のぼり路』 |
たわやめの納め |
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まつりし玉手筥 |
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そのただ香にし |
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わが觸るごと |
創建の年代は詳かでないが、社伝には和銅元年(708年)とも伝えられ古来薩摩一の宮と呼ばれ、地方開拓の祖神として朝廷の尊崇厚く、薩摩藩主島津氏の直領となってからは、さらに航海、交通、漁業の守護神として崇敬が厚く、明治4年神社制度の制定で国幣小社に列格された。 社殿は、総朱漆塗極彩色の鹿児島地方独特の建物で、正面に唐破風の向拝のついた勅使殿、その奥に拝殿、幣殿、本殿と連なり、本殿入口には向拝柱の見事な雲龍の彫刻柱が配置されている。これ等の建物は、慶長15年(1611年)に島津公によって再興されたものである。 |
昭和33年(1958年)4月20日、水原秋桜子は枚聞神社を訪れている。 |
指宿観光ホテルに泊る。二十日快晴。指 宿を発して池田湖に至る。開聞神社にて 岳の雲鬱々凝りぬ樟若葉
『蓬壺』 |
宝物館には、国指定重要文化財の松梅蒔絵櫛笥(玉手箱ともいう)があるというが、見なかった。 |