2020年鹿児島

隼人塚〜与謝野晶子の歌碑〜
indexにもどる

霧島市隼人町内山田に隼人塚がある。

石塔と四天王像


史跡 隼人塚

『古事記』『日本書紀』『風土記』等に記載されている古代南九州の住民クマソ・隼人族の反乱(隼人族の反乱は養老4年・西暦720年)にちなんだ史跡として指定された。

反乱の時殺されたクマソ・隼人の霊が祟りをなしたので、その供養のために隼人塚が建立されたと伝えられる。ただし建立の目的をはっきり書いた文献・考古資料などは発見されていない。

大正10年(1935年)3月3日、国の史跡に指定された。

与謝野晶子の歌碑があった。


隼人塚
  夕立はやく御空より
   馳せくだる日に
    見るべきものぞ

建碑の由来

今を去る昭和4年7月23日、与謝野晶子は夫鉄幹と共に早戸塚を訪れ、この歌を詠みました。

この歌は歌集「霧島の歌」に収められています。

隼人町文化協会では、文化の香り高い心豊かなまちづくりを進めるため、文化振興基金を積み立て文学碑の建立を計画しました。そこで、歴史的意義深いこの地に、ゆかりのある歌人与謝野晶子の歌碑を建立し、末永く後世に伝えることになりました。

平成12年(2000年)10月22日、隼人町文化協会建立。

 昭和14年(1939年)10月6日、斎藤茂吉は霧島向かう途中で隼人塚を見ているようである。

   霧島途上

加治木町士族の家を見などして暫くにして隼人町過ぐ

隼人塚の直ぐそがひにし黒々としげれる山にのぼりまうでむ

『のぼり路』

2020年鹿児島〜に戻る