リアス式海岸の自然美に彩られた坊浦の西南に位置する「網代浦」の付近は、江戸時代から風光明媚な景勝地として知られ、近衛信輔の伝承を持つ「坊津八景」の舞台の一つにもなっています。 平成13年には、その景観価値が認められ、網代浦にそびえ立つ「双剣石」(二本の剣の形をした奇岩)の周辺が名勝「坊津」として、国の文化財に指定されました。平成18年には、双剣石に隣接する「鵜ノ島」地区が追加指定をうけています。 南さつま市教育委員会 |
梅崎春生は、福岡市生まれの小説家である。昭和20年、海軍暗号兵として坊津に駐屯した。戦後、小説「桜島」を発表して文壇にデビューし、その後数々の作品を出した。昭和38年、再び坊津を訪れ、雑誌「旅」にその紀行文を書き、さらに坊津を舞台に、昭和40年「幻化」を出したが、これが遺作となり、のちテレビドラマにもなった。 南さつま市教育委員会 |
昭和49年6月に司馬は朝日新聞、小説新潮の編集者などと6名で密貿易屋敷など訪れた。氏は坊津のことを「地図をみるたびに気がかりで仕方がない土地である」と書いている。「薩摩坊津まで」で宿泊した旅館での事は詳しく述べられ、51年の正月にも、再度夫人と宿泊されている。また氏は昭和43年の県の青年の集いにて「歴史における薩摩人の能力」の講演でフランシスコ・ザビエルは坊津に1週間滞在し報告書を次のように書いた。「国民は聡明で名誉を重んじ辱められると猛然と戦い、気はやさしく勇敢で、秩序を好みモラルも高い民族で、キリスト教国以外でこれほど優れた国は見たことがない。と書き送った。その日本人を代表するのが薩摩人であり、厳密にいえば坊津の人達だったのである。日本人が植民地化を免れたのは、坊津のおかげであり、薩摩のおかげである。」と坊津を大いに賞賛し新聞にも紹介された。 ※「薩摩坊津まで」の初出は「古往今来」で出版されました。 |