ゴツゴツとした溶岩原は、火山らしい景色ですよね。こんな場所に植物は育つの?と思うかもしれませんが、彼らはたくましく生きています。あなたの足下は大正溶岩(1914年)。日なたが多いので、クロマツやススキなどの日光を好む草花が目立ちます。小高い丘は昭和溶岩(1946年)。ここよりも緑の量が少ないのは、新しい溶岩だからです。その先は深い緑。古い溶岩の上は長い時間をかけて森が戻っています。あれ、山のさらに上の方には緑がありませんね。火山ガスが出る火口のまわりには、植物が育ちづらいのです。流れた溶岩の年代と、火口からの距離によって、植物たちは生きてゆける環境を見つけます。桜島では、植物も火山とともに暮らしています。
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霧島錦江湾国立公園

さくらじま
有村溶岩展望所
平野国臣の歌碑

わが胸の
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燃ゆる思ひに
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くらぶれば
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煙はうすし
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桜島山
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平野国臣
文政11年(1828年)〜元治元年(1864年)
筑前福岡藩の幕末の志士。通称次郎。
安政5年(1858年)脱藩上京後、尊皇攘夷運動に奔走、京都〜九州間を往来した。西郷隆盛と月照が錦江湾に入水したとき、西郷を救出したことで有名である。この歌は、薩摩の同志達と回天の策を謀るべく入薩したときに詠んだものと言われている。
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海音寺潮五郎の歌碑

わが国に桜島
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あり西郷も大
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久保も見し火
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を噴く山ぞ
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海音寺潮五郎
明治34年(1901年)〜昭和52年(1977年)
本名 末冨東作。鹿児島生まれの小説家。
作品に「天正女合戦」「明治太平記」「平将門」「武将列伝」「天と地と」「西郷隆盛」などがあり、特に長編歴史小説のその特色をあますところなくみせている。
郷土を愛し、「西郷隆盛」の執筆を最大のライフワークとしていた。
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高野素十の句碑

初蝶の
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熔岩につき当たり
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つき当たり
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昭和28年(1953年)、高野素十は桜島を訪れている。
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