2020年香 川

金刀比羅宮〜裏参道〜
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金刀比羅宮裏参道を行くと、学芸参考館(図書館)の裏口が見える。


 昭和21年(1946年)11月10日、高浜虚子はホトトギス六百号記念四国大会出席のため桜屋旅館に泊まる。

 昭和24年(1949年)10月20日、合田丁字路高浜虚子の句碑を建立。


左手に合田丁字路の句碑があった。


金ぴらの祭のあとの紅葉晴

昭和41年(1966年)10月、建立。

   十月三十日 琴平合田丁字路句碑除幕祝句

菊の香に心ゆたかに君とあらん

『句日記』(第二巻)

碑陰に高浜年尾の撰文がある。

合田丁字路君は明治三十九年十月金刀比羅宮の山麓に生れ二十歳の頃より俳諧を学びはじめたと聞く。爾来高浜虚子主唱する花鳥諷詠の本道を正しく歩みつゞけ今日に至る。□□はもとより近隣の多くの俳人諸君に身を以って範を示し、常によき指導者として俳句の研鑽に努めている。

この句碑は還暦を記念して君に親しむ俳人諸君並に友人諸氏の好意によりこの神域に建立を見たのである。

合田丁字路は琴平町桜屋旅館の主人。本名久男。ホトトギス同人。

昭和56年(1981年)9月1日、桜屋旅館閉館。

名勝及天然記念物象頭山


 回遊路を右に行くと道の側に渓流が続く。この辺りを凉杜(すずしのもり)というそうだ。渓流を渡ると、広場がある。その広場一帯を明野(あけの)という。

明野に古帳女の句碑があった。


天の川くるりくるりと流れけり
あたまからかふる利益や寒の水

天保14年(1844年)正月、建立。

碑陰には古帳菴の句が刻まれている。

のしめ着たみやまの色やはつ霞
折もよし衣更して象頭山

裏参道を上ると、四阿の横に谷鼎の歌碑があった。


象頭山金毘羅大権現と
幼きより聞き馴れて
名のいたく親しき

谷鼎・東京高師・京大文学部を卒え教育に尽くす。
明治29年小田原に生る。歌人。著書並びに歌集多し。
この歌は昭和10年頃東京府立第五中学校教諭時代、修学旅行引率の途次時の作である。昭和30年、歿。昭和47年7月、歌の縁深きこの神苑に友人・門下生に依り建つ。書は松井如流。

知らなかった。

さらに上ると、吉井勇の歌碑がある。

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