2020年香 川

「虎屋」〜志賀直哉〜

 大正2年(1923年)2月、志賀直哉尾道から多度津を経て琴平へ。「虎屋」に泊まっている。

金刀比羅宮表参道に「虎屋」がある。


 月の讃岐富士の出てゐるのをからだをねぢつて時々見た。七時と八時の間に皆既蝕がある筈でそれを見やうと思つてゐた。然し金刀比羅についたのは七時前だつた。彼はそのまゝいゝかげん歩き出した。虎屋へいつた。直ぐ通した。腹が空つた。然しうまく食へなかつた。

 彼は月蝕をすつかり忘れた。

[暗夜行路草稿8]

志賀直哉は琴平から高松、屋島へ。



其夜彼は金刀比羅で、一人では泊めまいといはれた宿屋へ行って泊まつた。そして翌朝金比羅神社へ行つた。其処の宝物のある物が彼を楽しました。

小説「暗夜行路」志賀直哉

 昭和21年(1946年)11月10日、琴平公会堂でホトトギス六百号記念四国大会。その夜、虎屋で晩餐会が開かれた。

 大會が終つて櫻屋の隣りの虎屋といふ宿の舞臺のある演藝場に移つて晩餐會が開かれた。種々の餘興が催されたが、其最後に雲助が二人駕を舁いで現れた。其駕は晝間私の乘つたものであつた。其駕舁はよく見ると正一郎君と丁字路君であつた。

『父を戀ふ』「駕」

老舗旅館「虎屋」の建物は、うどん店として使われていた。

しばらくの間「お休み」させて頂きます。

虎屋の右隣が「こんぴらうどん」参道店。

老舗旅館「桜屋旅館」の建物である。

 大正10年(1921年)3月22日、斎藤茂吉は「桜屋旅館」へ。

   三月廿二日琴平櫻屋にて

筑紫より海わたり來て琴平の神のみ山に汗ふきにけり

『短歌拾遺』



老禰宜の紅葉かざして祭貌

高浜虚子

 昭和21年(1946年)11月10日、琴平公会堂でホトトギス六百号記念四国大会。高浜虚子は桜屋旅館に泊まる。

十一月十日。ホトトギス六百号記念、四国俳句大会。琴平。
公会堂桜屋二泊

 たまたまの紅葉祭に逢ひけるも

 老禰宜の紅葉かざして祭顔


 昭和24年(1949年)10月21日、高浜虚子は星野立子とさくら屋に泊まる。

十月二十一日。高知出発。この日琴平さくら屋泊り。車中。

 大杉を神とし祭り村祭


 先年おなじみの合田丁字路さんのさくら屋へ投宿。未
亡人となられた丁字路さんの母堂に久々の挨拶をし、く
つろいで大勢で夕食の膳につく。


 昭和27年(1952年)4月14日、星野立子はさくら屋に泊まる。

 三時四十分発でなつかしい高知と別れ琴平へ。さくら
屋に合田御夫妻のおもてなしにあまえて一泊。

星野立子・未刊句日記

 昭和29年(1954年)、稲畑汀子は桜屋旅館に泊まっている。

ともかくも宿に帰れば火鉢あり旅
          琴平さくら屋




金ぴらの磴を一気に初詣

合田丁字路

合田丁字路は琴平町桜屋旅館の主人。

 琴平の町には宿屋が軒を連ねてあるが、其中で大きな一軒が櫻屋といふので、其所が丁字路君のうちであつた。今度私等の旅宿には丁字路君のうちを當てるのだといふことは、かねて聞いてゐたのである。

『父を戀ふ』「駕」

昭和56年(1981年)9月1日、桜屋旅館閉館。

平成4年(1992年)10月28日、合田丁字路は85歳で没。

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